2014年4月23日水曜日

迷惑

こんちわ!そんなこんなで書く事が楽しくなって来たのに乗じてる涼子です。

この間の『遠慮』のテーマに続いて今回は迷惑。

『人に迷惑かけるな』というのは日本人なら誰でも教えられた事がある事だと思う。
なんでだろ?って考えた事あります?
夫婦でそれについて話合った所、たぶん日本人は断れないからではないかという結論になった。

相手が断れないとしたら、お願いする方は遠慮して迷惑かけないようにする必要がある。
でも相手が断れるとしたら、お願いする方は考えないで出来る。

そもそも、人間は活きてるだけで迷惑な存在だと私は思う。
人はどんなものでも生きてるものを食さないと生きていけない。
その食べ物にとって人間はいい迷惑。

ストレスが溜まると夫や家族に対して喧嘩売る。
これも、相手にとっていい迷惑。

だから私は人に迷惑かけても、かけられてもどうでもいい。
というか迷惑だなあと感じるアンテナが無い。
だって、当たり前だもん。

今は義母が2週間泊まりに来てるけど、だからって自分を変えないし嫌なものは嫌っていうし、出来ない事はしないし、逆にお願いする事もたくさん。
私とキャラが似ているオープンな彼女は実母よりもずっと気を使わなくていいから楽。
実母は、はいはいって言いながら不満を溜めて、陰で文句を言うから解りにくくて嫌。
そういうのは迷惑というよりウザい。

夫も言うけど、そもそも迷惑かな?って相手の事考えてもわかるわけない。
自分にとって迷惑な事も、相手にとって迷惑じゃないこといっぱいある。

いまは『産後で迷惑かもしれないけど、、。』とオイルを頼んでくれたりすると、迷惑なんてとんでもない!出来なければ初めからしないし、時間がなければしないし、夢を叶える資金になるんだし、人を癒すことが自分の使命だし。
そして、迷惑かけられて嫌だと思う人は、その前に付き合いたくない人なんだから、付き合わなければいい。
愛していれば、どんなことも迷惑だと感じないはずだ。

最後に、迷惑をかけずに生きようと遠慮すれば、自分を殺さないと出来ない。
私はこれが、日本の自殺に関連していると思っている。

だって考えてみれば、人生はじまったばかりの何にも出来ない赤ちゃんが迷惑かけずに生きようと思えば、死ぬしかないのだから。








2014年4月19日土曜日

遠慮

おかげさまで、天気のいい時は、ジョギングを始めた位元気な涼子です。
やんちゃすぎて、娘の幼稚園の送り迎えに、息子のキックボードを使ったり(この前消防車にひかれそうになって、これは悪い見本ね。と見てた娘に言った。)、今度はインラインスケートやろうと目論でる。こっちはスーツ着た大人がキックボードやインラインで通勤するのを見かける。あと、通勤など行き先が一緒の人は乗り合いしたり。エコだなあと思う。
やっぱり昨日義母が、ベルリンから8時間乗り合い車でやってきた。
カウチサーフィンとかも考えると、日本と違って人と人の距離が近いなあと思う。

私も遠慮しらずな、、、要するに図々しい性格だから、『プレゼントしたいけど何が良い?』って聞かれると、あれとこれと、、、ってお願いする。
だって、大切な仲間から頂くものをずっと大切に使いたいもん。必要なものだったら、いつも自分の傍で大切に使える。使うたびに、その人の愛を感じられる。
だから要らないのは要らないってハッキリ言う。
使わないのもらっても、自分の傍に置けないもん。そういうの嫌だし。
ということは図々しいって、要するに正直という事か。(笑)

そんな自分は遠慮が美徳な日本が合ないわけだ。
そういや、昔ホステスのバイトしてたとき、『おつりは要らないよ。』って言われて『ありがとう!』といって貰ったら、ママに『りょうちゃん、こういうときはとりあえず、いいです〜とか何とか言ってから貰って』と言われ、どうせ貰うんじゃん。何で要らないって嘘つかんきゃんが?オラ出来ない!あとHしてて良いくせに『だめっ』って言ったり。
『つまらないものですが』と言ってプレゼントしたり(夫はじゃあ要らないって言う)、複雑で難し過ぎる。

だから、相手の思う事の裏を読んで言動したりするけど、疲れません?

そもそも、スーパ−KYの夫が言うけど『人の気持ちはわからないから言わないとだめ』って本当だと思う。相手の立場になって考えたって、それを考えてるのは自分だから、グルグル考えるんだったら、質問するべき。
ドイツ語講座のクラスの人も、イタリア、ルーマニア、ブラジル、イラン、トルコ、パキスタン人などなど色んな国の人がいるけど、みんな解らなかったら質問は当たり前。
私も、最初は聞くタイミングを見計らっていたけど、みんなKYだから、そんな事してると聞けないのがわかったから、とりあえず手を挙げ続ける作戦は成功。

みんな正直に活きている国では、自分の考えや意見を言って当たり前。
この間、幼稚園の迎えが5分遅れたら、『私たちも早く帰りたいから今直ぐ迎えに来て』と言われて嬉しくなった。こういう素直なの大好き!キックボードで飛ばして1分で迎えにいったさ。
こっちは無料残業なんて考えも無い。嫌なものは嫌だし、良いのは良い。ただ、これは個人で全部違うから言わなきゃ。言ってもらえると思うと安心出来るし。

ドイツは、歴史上の間違いをハッキリ間違いとして認めて責任をとっている。
間違いや失敗は当たり前で、その上でどうして行けば良いのかトコトン話合う気質。
だから、注意されるのは当たり前。最初はウルサいな〜と思ったけど同時に愛も感じた。
そもそも、間違いを指摘するのってパワーが要るし面倒くさい。
それでも、相手の成長の為に注意するって愛だと思う。

まさに子育てがそう。昨日、夫に注意されてハッとしたのが、子どもに対して怒った言動をしてる事。自分は叱ってると思ってたけど、言葉のイントネーションが悪過ぎると言われ、そういや息子も同じ態度で嫌だ〜と思ってたけど、私の映し鏡だった。
だから、昨日は息子に『いままで言い方が悪くてごめんなさい。これから気をつけるね』と言った。

で、考えてみると普通に注意すればいいだけだったのねって目からウロコだった。
注意自体、するのもされるのもダメな文化で育ったなあって思う。
注意されないように相手の事を考えて立ち回る。
バレないように隠れて酒飲んだりタバコ吸ったり浮気したり良い人ぶったり。
とりあえず、表面を繕う。
どの国だって間違うんだから、日本が外国にした罪だって認めて責任とれば楽になるのにね。国民からしたって見苦しいんだから、他国から注意されて当然。
のび太だって、なぜ0点のテストを母に見せないのだろう?
そして何でそれで母ちゃんが怒るんだろう?
苦しむのは自分であって母ちゃんは関係ないだろうが。
ただ、私の場合大工になりたい息子に必要な勉強はしっかり伝えてあるし、勉強の意味も教えているつもりだ。
『私も仕事したいから、毎日ドイツ語の勉強をしてるんだよ。勉強は自分の為にするものだ』って息子によくいう。何でもやったことしか還って来ないのが現実。
注意されるってことは、相手にとって自分の言動が痛かったという事。それでも意義があれば言えば良い。


NOと言わないのは弱さだと思う。人を傷つけないようにって言うけど、NOと言われたくらいで傷つくのが悪いと私は思う。NOと言われて傷つくんじゃなくって、気付いていける人間関係を築きたい。
そういや自分の悪口を陰で言う子達に『陰で言っても何にも変わらないから今言って』と言ったとき、痛かったけど、きちんと言ってくれて嬉しかったのを今でも覚えてる。

そんな私が一番悲しいのが遠慮。
遠慮して言わない。でも言いたい事は溜まっていく一方、それをどこかで吐かないとだめだったら、全く関係ない身近な人が犠牲になる。
これを言っても大丈夫だっていう信頼感があれば、何でも言える関係が築けるのに。
逆に言ってダメだったら、それまで。でいいじゃん。
本性が出せない人間関係ほど疲れる事無いし。

だから、子どもにも注意されるしゲンコツされる。間違うに決まってるじゃん。子ども持つ前に親になったことないんだから。

結局、私の意見は遠慮が美徳とする日本の意見に反対と言う事。
なぜなら、遠慮して日本人魂を出さないのはもったいないと思うから。
本当に美しい魂。ただ遠慮と言う鎧で守って来た分弱いだけ。
これから、その鎧を脱いで人と意見を言い合っていけば、本物の輝きが出せると信じてる。

みんなと同じ意見はありえない。
肉体構造は同じだけど、心は全員違う。
右向け右!で、自己犠牲にする悪者の企みに落ちないで、自分の心は自分で守るためにきちんと伝える努力をおしまないでほしい。

最後に、産まれたての赤ちゃんでもキチンと意見を態度で出す。
相手を考えて遠慮してたら死ぬしか無いのだから。


2014年4月14日月曜日

言い訳

かおたんに続き、ミルク、食事作り、掃除、ドイツ語勉強、筋トレ、ミルクな生活であ!!っと言う間に日々が過ぎている涼子です。
そして、オイルの注文もたくさんありがとうございます。そんなこんなで3ヶ月以上待ちという状況も付き合っていただき感謝しています。

ドイツ人の義母や、友人が少しづつ増えて来て思うのが自分の意見がハッキリしているという事。最近できたハンガリーのイディコという友達も、ドイツ人はハッキリしてていいって言ってた。
近い国の人もそう思うという事は、ドイツ気質とも言えるのかな。
さすがピッタの国!イレズミとピアスが人気な訳だ。

そしてドイツの中でも辛口のベルリンで育った夫と一緒になって何百回ケンカしたことか。
今日も、過去を言い訳にしてるし、その言い訳を一番に自分に対して無意識に使っているよって言われて『カッチ〜ン!!』

今から考えれば、過去は間違いと失敗だらけ。って言ったら聞いてた息子が『でもママが生きてた事はよかったよ。生きてなかったら僕もパパにも会えなかった』と泣ける台詞。
ま、半分半分だけど、過去のマイナスを今出来ないことの言い訳に自分がしているというのはあまりにも無意識でビックリした。
なんせ、言い訳が大嫌いだから、してる訳ないって、、これも言い訳?

自分が見えないって怖いわ。。。
だから、人の意見って大切なんだよね。自分の視点じゃ見えない自分を人は見てくれる。

今はドイツに居るけど、多くの愛する仲間は日本に居る。だから、どこかで馴染まないようにしている自分がいるかも。

子育ての失敗も、過去がそうだったからと良く言ってるな。

過去があっての自分だけど、そればかりで今の自分の改善点が見れないのなら過去の意味が無い。

師匠も言ってた。
過去の整理がある程度出来たら今度、過去を言い訳に出来ないよって。

私自身も大きな前世が入っているけれど、だからってそれを今に活かせないなら何の意味もないと思っている。

だから、無意識でも今しない事の言い訳を過去から引っぱりだしてくるの、やめると決めた。

言い訳って『良い訳』だから本人は気付きずらい。だから、とっても痛いけど、たまに自分を疑ってみるのも大切よねって思った。

で、過去をどう捉えるか?考えてみた。

今まで、許そうと頑張った。
でも許そうと思うと許せない事ばかりが出てくる。

そこで『尊重』してみようと決めた。
良いも悪いも、失敗も成功も、甘い経験も辛いのも、許せない事も許せた事も全部そんな経験をした自分を『尊重』してみようと。これなら、自分を大切に出来る。

私は凄い人になろうとは思わない。ただ、今のただ目の前の事を愛せる人間になりたい。

それには今の自分を綺麗事の『良い訳』で弁護せず、やらない理由を『言い訳』しない気合いが必要だと思った。

先日、気付かずに友人と夕食を家で食べててワイン一本1人で空けた。
だって、美味しいワインが200円とか300円だし〜。
妊娠出産がんばったし〜。
久しぶりの大好物(アルコール)の解禁だし〜。
って。
自覚してる言い訳は許すことにしよう(笑)