2018年11月21日水曜日

半分あるコップの水

うちは、5人家族というのもあり、
私が料理好きなのもありで、家族での外食は1年に1回とかのレベルです。
先日、私とムーと4歳の海愛でケバブを食べに行こうということになり、
迎えに行った時の話です。

『海愛〜!今日は外でご飯食べるよ!?!』
『わーいわーい♬〇〇(こっちは先生と呼ばずに名前を呼び捨て)私ね、今日外でご飯食べるんだって!きっとベランダで食べるのよ!!』
〜私も先生も大笑い、そんな私たちに海愛が〜
『ちょっと!〇〇、うちにはね、ベランダが2つあるんだから!』
ってそうじゃなくて〜。。。

子供の発想って、本当にピュアで大好きです。
私もそんな童心を蘇らせたいなあと思う憧れの相手です。

それは良しとして。
最近、よく考えることがポジティブ思考の危険性です。

コップに半分の水があって、それを
『半分しかない』と捉えるか
『半分もある』と捉えるか?
そこで、半分もあると取りましょう。という教えを昔読んだことがあります。

でも、私の最近の意見は
『そのままコップに半分水がある』と捉えよう。ということです。

それは、プラス視点からでもなく、マイナス視点からでもない
そのまんまの視点です。

『半分もある』と思うプラス思考は、油断というリスクがあります。
『半分しかない』と思うマイナス思考は、不安に駆られるリスクがあります。

でも、そのまんま思考には、あまりリスクがありません。
強いて言えば、ふわふわしたロマンティックさが消えるとも言えるかも
しれませんが、ぼかしがあるよりも、ぼかし無しがいいじゃないですか(笑)。
少なくても、内臓好きの私は、ぼかし無しラブです。

まあ、だからと言ってデブにデブって言わなくていいと思います。
私、デブって言われても、そうだけど何が言いたいの?としかなりませんから。

大事なのは、そのままを直視することだと思うのです。
自分を良い人だとか悪い人と捉えるのではなく、
自分のしてきた良いことも悪いことも直視して、
悪いことを直す勇気を持つことだと思います。

悪いことをよしとするのは、ポジティブというのではなく
自分の罪を見ないための『プラス思考(弁解)』というのだと思います。

ほんとのポジティブとは、ネガティブもそのまま見て、受け止めて
前を向くことだと思います。

私は、たくさんの間違いをしてきました。
だからこそ、前を向く責任があります。

間違ってきたから悪い人間で仕合わせになる権利がないと考えたら
マイナス思考です。悪いことをした上で、さらに罪を重ねることになります。

間違ってきたからこそ、仕合わせになる。

これからも、ぼかし無しのモヤモヤのない人生を生きたいと思います。








2018年11月7日水曜日

引き算の仕合わせ

小さい頃から、ものすごいストレスを感じて育った私は、自殺願望も高く、学校もろくにいかず、鬱になったりしてました。
ずっと、『しあわせってなんだ?』と思ってました。

それもあってセラピストになったんだと思います。

最近は、私のパートナーから色々私の下手を注意してもらって、
いろんなことを削ぎ落としていって実感している
『しあわせ』があります。

それは、問題がないことです。

なんだか今まで、問題を見ないために、何かを足し算してごまかしていたのが
『しあわせ』だと勘違いしていたようです。

それは、
誰かに何かをしてあげる。(優越感プラス)
美味しいものを食べる。(喜びプラス)
好きなことをする。(自分だけを喜ばすプラス)
勉強する。(知識プラス)
誰かとあって話をする。(楽しみプラス)
などなど。

こうやって足し算をしていると、自分がなんの問題を抱えているかわからなくなります。

いえ、問題をわからなくするために足していたのです。

でも、この方法だと、いやな気分を誤魔化すためだから、本当に心からプラスを
味わえません。
どこかで、モヤモヤや罪悪感を感じてしまうからです。


そこで、とっても大変な、引き算のしあわせを試して見ました。

人に注意されることに対して、真剣に考えて無くすようにする。(間違いマイナス)
自分の間違った考えを改める。(思い込みマイナス)
問題を直視し、解決策を練って、実行する。(時間マイナス)
自分がいやでも、人を助ける。(楽しみマイナス)
などなど。

一見、いやだ〜と思うことがあったら、立ち止まって、問題視すると
引き算しやすいです。


問題のない人生。

それが仕合わせな人生だと思うからです。

2018年11月2日金曜日

お金

私は、今までハワイ、グアム、インド、イギリス、スコットランド、ドイツ、ベルリンの国に行ったことがあります。

そして、ベルリン多国籍にあやかって、様々な国の友達もできました。

そこで、通して見える世界問題があります。

それは、生きる目的が『お金』になっていることです。

『人の命』よりも『お金』。
『人生をゆっくりと味わう』よりも『お金』。
『自分が何をしたいか』よりも『お金』。

話は変わって、今日アジアンスーパーで、シリアから移民してきたおじさんに
思いっきりナンパされました。
話の途中で、7歳の息子が去年飛行機を撃ち落とされて亡くしたと言いながら、
息子の動画を私に見せてくれた。

美しい子供。彼は、涙を流しながら『今も苦しい』と。
私は、『きっと、無意識に彼は癒されたくて私を求めてるんだろうなあ。』
と思いながらも、お金のための戦争を改めて憎んだ。

私が信じているのは、一人の意識が世界を創っているということ。
だって1人の意識が変えられないのなら、世界の意識は変わるわけがないもの。

最近は、真剣に自分の中に『お金』が優先なことを1つづつ気をつけて
やめている。

それはとても小さなこと。

『したいけど、欲しいけど、高いからやめよう』
これ、日常のちっちゃなことからやっちゃいません?

本当に食べたいものとか、したいこととかをお金で諦めるなら、
お金が一番大事なものになっていることになる。

自分の体に対してケチる事も、命よりもお金を大事にしている証拠。
体あっての自分。
お金あっての自分じゃない。

お金がなくても生きれるけど、(←貧乏経験から自信持って言えます。)
体がなければ生きれない。

自分の気持ちをお金がないからと押さえつけるなら、
心よりもお金を大事にしている証拠。

だから、小さなことでも、お金を優先していることをやめて行って欲しいのです。
本来、お金が目的じゃなくて、私たちは仕合わせに生きることが目的です。

目的が間違っているから、不仕合せな人が世界にたくさんいるのです。

もし、1人1人が『仕合わせに生きる』ことを最優先にできるなら、
誰も救われない不仕合せ極まりない戦争は必ず無くなります。


みなさん、どうか、この小さな小さな意識改革で、
戦争撲滅運動に参加してください。