2015年1月30日金曜日

自己基準

いや〜。お腹グーグーなってからよく噛んで食べる。早起きする。朝筋トレ、夜ヨガ。野菜を半分。現実を見る(体重計にのる)。姿勢をよくする。など、生活改善を頑張ってるりょうちんです。

最近は、真面目だね〜って日本の仲間から言われるけど、私の真面目さって、自己基準。
人に対して真面目かどうかは、その人が判断すればいいと思うけど、自分で決めた事に対しては厳しいと思う。これをドイツ語でDisyiplinと言うけど、この力、この国ではかなり評価が高い。

日本ではどうだろう?
そういや、中学校に上がって誰もが『勉強なんてしてないよ〜勉強なんてしなくていいんだよ』って言うから、なるほど〜って変に納得して、重い教科書も学校に置いたまま(通学1分のアパートに住んでたのにね)、家で勉強するなんてもってのほか!授業中も興味のある授業以外はお坊さんのよう(お経に聞こえた)。
そんな事してたら、テストの順位?(これドイツには無い)が下から何番目。
おかしいな?と思って、よく周りをみたら、なんだよ。みんな勉強してるんじゃん。
ってか、考えればわかるよね〜。私って正真正銘のバカだわ。ってその時悟った。
真面目だとカラカわれるからかな?(賞賛に値するが)
勉強してないって言っといて出来るのがカッコいいのか?(陰陽わかるとありえないんだって)

まあ、何にしても私は私の基準で動こうと思った瞬間だった。
人は人。人が努力してようがしてないが、自分が自分に対して何をするのか?が大事だねって思った。で、恋と剣道頑張った。勉強?結局興味無しだった(笑)。
順位とか、まじでどうでもよかった。それよりも、可愛くなりたかったし、剣道頑張りたかった。人間の価値は数字で出るもんじゃない。と思ってる。

で、情報も自己基準で判断するべきだと思う。
何にしても、これは、誰が何の意図で言っているんだろうと判断する必要がある。
例えば夫の愛するGacktさんは、週刊誌で好き勝手書かれてるらしい。
それを何でも本当だと読んでしまう読者が何よりも怖いと思う。
週刊誌は、売れないと生き残れない。現実逃避したい現代人に真実などクソだろう。
それよりも、面白可笑しく噓でも書いて売れればいい。
そういう意図をちゃんと踏まえた上で、その人なりをちゃんと自己基準で判断しなければいけない。しかも彼のプライベート部分まで、誰が断言出来るだろうか?
高い有名税だわと、そういう時、本当に可哀想に思う。
人を叩いてそれを面白がる。そういう暇な考えは私の自己基準的では最低と判断する。

誰が何と言おうと、自分の目でみて自分の頭で考える力をつけないといけない。
よく、『あの人こういう人だから付き合わない方がいいよ!』とか言うヤツいるけど、自分で付き合ってみて判断するから放っとけ!って思う。それより、そう言ってるお前のほうが怪しいわって自己基準は思う。
こういう類いの自己基準を相手に押し付ける事は、大きな間違いだし、恥ずかしい事だと私は感じる。その人の自己基準に、まわりが影響したとしても、自分以外に変える事は出来ない。

勉強にしても、ドイツは、学力という数字で出るレベルは高くないと思う。(よく解らんが)
でも、自分で考える力は強い。
それと同時に、人の意見も聞く力も強い。
それは自己基準がしっかりしてるから、人の話も流されずにしっかり聞ける。
私はこう思うけど、あなたどう?
なるほどね、そういう考えもあるね。ぺちゃくちゃ。。。。。
って真面目な話が出来る。

自分は自分をどう思うか?
自分は、周りで起こることをどうおもうか?
自分は自分の生き方をどうおもうか?
同じ人間は2人といない。だから、それが大事だとおもう。
人の真似をしたり、人の期待に答える事を基準にするのは嫌だ。

私は、今までの生活をしていたら、体重は変わらない。
今までの生活態度の結果が、現在だから。
何か(体重)を変えたいなら、生活を大改革しなければいけない。
それって本当に大変。慣れた考え方や動きを変えるのはストレスだから。
でも、自分で決めた事に対して、自己基準を変える事は大事だとおもう。
目の前に転がってる現実が嫌だと思うなら、自分で考えて自分を変える。

全てに自己基準を持てるなら、日本政府がやっている放射線量の基準値をどんどん上げている理由が見えて来るだろうとおもう。
線量が増えているけれど、国民を安心させようとして、『基準値以下です 』と言う為に、基準値を上げてる。
こういう風に自分が楽に生きる為に、自分や人を騙す為に基準値を上げるのはだめだと思う。
自分がどうなりたいか?を明確にしないと、基準は作れない。
私は、仕合せになるための基準を 常に持っていたいと思う。








2015年1月28日水曜日

1人

Hallo!Wie geht's dir?
ドイツ語勉強しすぎて、発狂しそうなので、息抜きにブログ書き。

そういや、最近気付いたのが、
日本って小さな頃から集団になるように教育される気がする。
私は集団行動が大の大の苦手。

だから、そういう行事とか仮病使ってたし、連れションもしない。
(※学校でタバコ吸う時は、A様がよく見張りをしてくれたので一緒に行かせて頂きましたが。)、ラーメン屋とか外食とかカフェとか普通に1人で行くし、1人でどこでも旅行行っちゃう。

昔、友達3人で予定してたのに、
1人が来れないって言うから『じゃ、二人で行こ!』ってもう1人の友達に言ったら、
ヒドイ!って言われてビックリ!
みんな一緒じゃないとダメなんだなあって。
だったらもう約束しないで1人で行くわと思った。

そんな私がドイツで居心地がいいのは、みんな一緒!
っていう意識が無いから。
まず、相づち。人が話してるときは静かに聞く。
それは、予想も出来ない事を相手が言うのを気をつけてるから。
日本って解る解るって相づち打つけど、
そんな簡単に相手の事解る訳が無いと思わない?

そして、カフェでも食事でも1人で過ごす人は多い。
そもそも、食べるときは食べる。
話しをそんなにしない。集中して食べる。
子供達の学校見ててもそう。別にグループとか無い。
ただ、個人的に合う人間と付き合ってる感じ。

誰に何言われようと好きなのは好きだし、嫌いなのは嫌い。
何人友達が居るとか、予定が沢山詰まってるとか、どうでもいい。
友達たくさんいても、家族がいても、それが自分の価値を決めるんじゃない。
自分の価値観が自分の価値を決めるのだ。決して周りの人間が決めるもんじゃない。

最近気付いたんだけど、日本人って自分の周りに自分の価値を求めるから、
人目が気になるだろうし、着飾ろうとするんじゃないかな?と。
だから、周りに人が居ないと不安になるんじゃないかな?
単に寂しがりなのもあるかも知れないけど、
とにかく1人になるのを嫌う気がする。
みんなと同じじゃないとダメって。
1人になるのが嫌で、愛があるか無いかは置いといて
とりあえず今の現状を維持する。

でもさ、考えてもみて。
1人になるには、相当の努力が必要だという事を。
そしてそれは不可能に近い事を。
まあ、無人島に1人で行くくらいでしょ?
自分は必ず誰かに支えられて、
自分を誰かが憎んでても誰かが愛してくれてたりする。

でも、そう思えるまでには、
人間1人で産まれて1人で死ぬんだって事実を受け入れないとダメなのかもしれない。
どんなに愛しても、必ず来る別れ。
どんなに愛しても報われない愛もある。
そんなとき、1人ぼっちだって感じる。
1人なんだよね。
そういう時間を私は愛してる。
だから、家族放っておいて1人でプラリと外に出る事がある。
そういう1人の時間で、自分を確認する。
自分の生き方、考え方、色んな事を確認する。

1人だからこそ、周りの人の存在全てがありがたいと思える。
周りの人が居て当たり前だと思う人生は、送りたくない。

2015年1月26日月曜日

人生は苦悩

苦しいとき、何で生きてるんだろうって思う。
毎日苦しい事は必ずある。
それが人生だ。
活きるって、生きるよりもずっとずっと苦しい。

極端な振り子にターザンみたいに乗る。
楽しいときは思い切り。
苦しい時も思い切り。
苦しいとき死にたくなる。
そんなとき、一切の綺麗事は聞きたくない。
ただ、私はいま自分の感じているこの地獄が先祖代々続いているんだって
そう思う。
だから、苦しみから逃げずにそのまま受け止める。
死にたかったのも、きっとずっと続いてる。

何で自分ばかり不幸なの?って思えない。
私たちの歴史をみれば、苦悩の無い時代なんてどこにもない。
細胞の中の、そのDNA情報を抱えて、活きているんだから、苦しくて当然なのが人生だと思ってる。

だから、苦しいときは人生を味わうときだと肝に銘じる。
この苦しみの飴を、舐め終われば朝が来る。
夜の次は朝。朝の次は夜。
夜こそ真剣に向き合えば、朝は自然に楽しめる。

全ては陰陽。

それを信じて苦しもう。

2015年1月23日金曜日

生活ダイエット

こんちわ!昨日トルコ 側のひいばあちゃんが、『突撃孫の昼ご飯』的に登場!
その日は4時間かけてオーブンで作る豚肉のカスラーを料理してた。
しかし、ばあちゃんがイスラム教にて豚肉はNG。
急きょ、ごぼうと人参のキンピラを作って、照り焼きチキンとご飯をだした。
待ちきれない彼女が、早く作って〜食べれれば何でもいいからって(笑)。
そんなこんなで、作ってる最中に私の涼子って呼びにくいからと、何個か用意した名前があった。その中で『ファットマン(太った男)』←ちなみにトルコ語ね。
とあって、私が絶対その名前だけは嫌だって言って夫と爆笑。
結局、『リョえん』みたいなやつになった(笑)。

しかし、ファットマンでハッとした。
近頃、体重計という現実から逃避してた。
なぜなら、運動不足&食べ過ぎの生活が続いていたから。
だから今朝はそのムカつく存在を引っぱりだして、乗ってみた。
予感的中!

だっけん、現実ってムカつくんだって。
夫にも自分の事言われてムカつくのも現実だから。
現実程ムカつくものないわ〜。
しかも現実と思い込みのギャップが強い程、傷ついたりムカついたり。
あ〜ファットマンのメッセージ、ビンゴ!

という事で、改めて生活を見直そうと今朝は、これから始まるドイツ語学校の下見にジョギングで行って来た。
行き25分で到着!(歩きなら45分)ドヤ顔で、帰りは探検♫と思ったら見事に迷子。
結局1時間半もジョギングして帰って来た。
ああ。久しぶりにいきなり90分も走ったよ。
途中下痢にならんでよかったて。こっちはトイレ見つけるの大変だし。

しめしめ、2月からは通学ジョギングで1時間の運動量が増える。
あとは、食事やな。
食事は私はカファちゃんなので、食事の半分は野菜にせんと。
なんせ肉食だから、いまのところ肉が半分。
ふう。あとは、腹減ってる時間を今より増やせばいい。

生活自体を変えない限り、自分は何も変わらないからね。

いきなり痩せるってどうしたって?

実は、夫はバイク乗り。(自慢だけど私も日本で大型バイクの免許を途中までとった)
でも、夫のバイクは走り用だから、私が後ろに乗るとオンブ状態になる。
それで、何時間ものツーリングは無理。
あと6キロ落としたら、どこにでも連れてってやるといったから、
そのあかつきには、シンデレラ城に連れてってもらう事にした訳♫

7月頃を目指して6キロ。一ヶ月1キロ落とせば計6キロ☆
腹6分目&運動という生活に変えれば、可能なはず♫
といいながら、昨日の夜中にポテチ&ケーキをバクバク。
何で落とそうとすると、食事に気がいくのだろう?

という事で、自分やるべき事に集中する作戦も組んだ。
お腹減ったら、水をタップリ飲んで、自分の仕事をする。
没頭出来る事をしていれば、食事が頭から離れるさ。

ということで、生活改善で6キロ落とす大挑戦が始まりました!

2015年1月18日日曜日

108の煩悩。

こんちわ!日本から友達が来て、ベルリン観光を一緒になって楽しんでるりょうチンです。
それにしても、私も夫も、友達がいるから喧嘩しないとか、遠慮するとか一切出来ない性格。
もちろん、友達いてもいつもと変わらずケンカ。
友達も巻き添え(笑)。友達にも包み隠さず言う。
本当にケンカって誰とやっても自分が見えるなあと。
自分を見たい人はケンカをどんどんするべきだと思う。
まあね、今日はケンカというより、話し合いで解決できたけどね♫

そんなこんなで、見えたのが『恨み』の感情。
私は小さい頃から、虐待で育って両親を嫌って来た。
大人になってきて、それでも許そうと頑張ってもがいて今まで来た。
でも、相手を許そうとすると自分を許せなくなってしまうことがこの前解った。
親子だから、どんなでも愛さなきゃとどこかで思ってたのもあるし、どんな両親でも全部が悪い思い出ではない。感謝もある。
だから恨んではいけないと自分にブレーキをかけてた。
でも、それだと自分の存在があったから虐待されたと言う事になって自分を消そうとするしか無い事になる。小さい頃は相手を嫌う事で自分の存在を守れてたのに、変に物わかりのいい大人になって、小さい頃を思い出すと発作が出るようになってた。
そんな私を持て余したのが夫。
私も夫に当たってしまう。このままじゃ、愛する人を愛せなくて失うのも気付いてた。
やっぱり親にされたことを自然に相手にする。
私は、母の様に愛する人を壊す様な生き方をしたくない。
だから、ケンカの度に自分の事を真剣に見詰めるようにしてきた。

今回の発作が出てやっと解った。
ここまで自分は傷ついてる事。
そして、この事は恨むに値する事だという事に。
母を恨みたくなくて自分の存在を恨んでたのは間違いだった。
母のこの行いを恨んでる自分の心の声をやっと認めた。
そして、これを計らった根源も同時に恨む。
そしたら、心に空いた穴が塞がった感覚が起きた。

108種類の感情の1つ1つを人間は味わって死ぬって教えてもらった。
アーユルヴェーダでも私の大好きなマルマは108個。
マルマは感情など詰まりが滞る場所だからリンクしている。
1つ1つの感情に苦しくてもフタをしないで味わう素直さが私には足りなかった。
1つの感情を誤摩化すと、自分が何を感じているのかが解らなくなる。
鈍感になる。

例えれば子供に、嫌いな食べ物だからと残させないように、この食べ物を全部食べないうちは、次の食事は無いよ!!というのと同じ。
誤摩化した感情を味わわないうちは、次もない。

恨みの感情は苦いけど、これも人生だと思うと深い味わいになる。
人間は感情の動物。
1つ1つを誤摩化さないで、素直に活きようと思う。

2015年1月6日火曜日

誰もがヒロイン☆

明けましておめでとうございます。
昨日仕事の内容が閃いたところで、こりゃ〜仕事初めやな?と直感。
2015年も宜しくお願い致します。

話しは変わって、年のせいか人生って本当に早いと痛感。40才間近につくづく思う。
顔のシワも増えたしね。同じように脳みそのシワも増やそうっと。
で、新年思ったのが、誰もが自分の人生のヒロイン。
私はどんな自分の映画を撮ろうか?考えていた。

今年の映画のタイトルは『挑戦』。
主人公のりょうちんは、事故によって記憶を無くしてドイツ語が話せなくなった。
それでも、必死に思い出そうと頑張る日々。
家族にセラピストだった事を教えられて、やはりその道を極めようと、年も忘れて突き進む。今後の展開に乞うご期待!

そう、私は今年に自分に合う大学を見つけて入学しようと思ってるのだ。
医学系か自然科学系の大学に行って、論文を書きたい。
論文の内容は決まってるから、それに合う大学を見つければいい。
ドイツは入学試験は無いけれど、卒業はとても厳しい。
そんなこんなで、大学を探していたら、家の近くに『自由大学』ってのがあった。
その名の通り、自由らしい。この辺を目に付けながら、ドイツ語の勉強しよう!
なぜなら、外国人の入学条件にドイツ語力のテストがある。
それは、日本のドイツ語の4年制の大学を卒業した子もとれないレベル。
それを半年でやろうという、おバカなヒロイン。りょうちん。
可哀想だと思う人は寄付を(笑)!

その大学を卒業したら、夫の幼稚園設立と大借金と共に『ハイジ』を復活させる予定。
だから、今年の映画のタイトルは『挑戦』なのだ。
最初に考えたら出来ないって思う事を多くの人はしたがらない。
失敗する確率が高いもんね。
でも挑戦って言葉は、そうじゃないと産まれない。
みんなが通らない道とやり方を通ってこそ『挑戦』。
自分の限界を越えてこそ『挑戦』なのだ!
ああ〜熱い2015年が始まった!
カメラが壊れて写真アップ出来ないから、ベルリンの年越しはこのリンクで読んでね!
私の熱い性格と、ベルリンの熱さがマッチしてるのが理解してもらえるはず!
http://dmm-news.com/article/906770/

まっ、自分の話ばっかじゃなんだから、最近驚いたドイツ情報で締めくくり!

その1:義母は歯医者大嫌い。そこで催眠術によって無痛治療したって。なんと!出産も催眠術で産めるらしい。最先端のドイツっぽい。それも医者がかけるの(笑)。

その2:今日は、子供達の学校初めの日。引っ越して州が変わったので、浪人してる長男は中学生から小学生に逆戻り。そして驚いたのが、な、なんと縦割り!!(笑)
私の記憶喪失ドイツ語力でも、説明聞いてて『エ???!?!?!』って。
しかも、これから行く小学校は縦割りドイツ初!という自慢も。今や26校までに増えてるらしいが、斬新な小学校でよかった。
そしてゆっくり学びたい人は、3年まで留年出来るってドヤ顔で校長先生が言ってた(笑)。
あと、多人種が住むベルリンだから、日本人生徒もいるだろうと思ったら、初日本人生徒!う〜ん。日本人は群れる性質があるから、普通は日本人学校に行っちゃうのかもねえ。

その3:隣は中高校だったらしく、最初間違って潜入。校門で生徒はタバコ吸ってる。16歳から吸える法律だったのが、最近18歳からになったらしいが守られてない。
本当にドイツでは、ピアスにタバコに刺青が普通で、不良、ヤクザと一般市民の見分けが全く付かない。まっ、差別意識も薄いからだろうが。

学校も、自主的に自分の科目を選んで勉強して行く。大学も同じ。
先生から与えられてやるという考えは無いのだ。
どこかの本を読んだら、日本やアメリカは、まんべんなく出来る人間を作ろうとする教育で、ドイツは学者を育てる教育だって。
なるほど、良い悪いの論議の前にその通りだなあと思った。
今日の校長先生も、日本はかなり勉強するから大変だったでしょ?と聞いて来た。
さすが解ってる!って思った。
ドイツは日本の半分以下の勉強量。大人の仕事量も日本の半分だろうと思う。
真面目に沢山学べばいい、稼げばいいという考えよりも、人間らしい生活を重んじる。

私もこっちきて、休む事を覚えた。ボケ〜っとする時間。昼寝。
何にも追われない生活の中に仕合せは潜むと思う。
私は追われるのではなく、自主的に夢を追って行きたい。
誰になんと言われようと、一生一度の、自分という映画のシーンを、しっかり味わい、心に刻んで今年を活きたいと思います。