2014年8月30日土曜日

現実

こんちわ!
毎日失敗だらけのりょうちんです☆
こっちきて一年。ほんと強くなったなあと自分を感心する日々。
前だったら、言えなかった事とか、出せなかった態度とか色々考えてたらあれ?
わたし、前の結婚前はストレート過ぎる表現をしていた子だったなって。

なんで前の結婚から自分がモヤモヤしたのか?考えてみた。
それは始まりからだったなあ。
子供ができたので、おろせと言われようと1人で産むっていった。
3日後に結婚すると言われたから、私はどこかで、この人を幸せにしなきゃと勘違いした。合ってお互いな筈なのに。
だから、家では奴隷のように我慢した。言いたい事全部我慢して生活していたことすら離婚するまで気付かなかった。
離婚の後、結婚したのは両親に怒られるからだって言われて、ずっと愛されて一緒にいたと思ってたから、勝手に裏切られた気持ちになった。
それと同罪なのは、私は10年間もそんな彼を合していない自分を騙した事。現実を誤摩化して生きた事。

ただ、結果が欲しかったんだとおもう。
子供、夫、家、仕事。でも一番大事な『愛し合っていない』現実をみていなかった。
子供にもそう。
どんなに忙しくても、手作り、体にいいものとか与えていた。
でもこれも見えるものでしかなかった。
私は、手作りなどという結果にこだわるあまり、忙しく、子供を見てなかった。
手作りや、体にいいものにお金をかけるために忙しく働くよりも、ただ現実目の前の子供達をしっかり見て受け止める事が愛だということに気付けなかった。

日本にいるとき、ガーデニングをしていると近所のオジさん達が集まって来て色々教えてくれた。世話が下手な私によく言ってくれたのが、『とにかく、見てあげるんだよ。見てあげるだけで不思議と元気に育つんだ』って。

それって、子育てだって一緒だって気付いた。
愛が解る子になってほしくて、目の前の子供を見ないで手作りをしていた自分は、ただ現実の子供をしっかりみて向合ってあげる事から逃げていた。
なぜなら、大きくなった今、忙しくしたわりに愛が解る子かなあ?という現実が見えたから。
私は、子供達ととことん向合うという向き愛を見失っていた。
これだけしてあげてるんだから大丈夫だろう。
家の子に限って、大丈夫。
浄化してるから、大丈夫。
これって全て条件でしかない。
〇〇をやっていれば大丈夫なんてものはこの地球に1つもないのに。

いまの夫は育てのパパ。
本当に子供達をよくみて向合ってて、尊敬する。
その姿をみて、間違っていた自分にやっと気付いたんだけどね。

ちなみに私の言っている愛って現実。
現実の自分をいかに素のまま合いせるか?
間違いをそうですと認め、自分に合う方向に努力する力。
自分のそのまま(現実)を認めないと、人のそのままも見れない。

愛ってもっと甘くて、気持ち良くって、ふわふわしてて、包み込まれて、安心して、花畑なイメージだったけど、まさかこんな夢のようじゃなく、こんなポンコツな自分を見る事だったなんて!!!

しかし私は、小さな頃から現実主義。
現実主義の自分が神を語るという矛盾に、なんども苦しんだ。
宗教家だとか思いもしないこと言われたり。でも、見えないもの言ってりゃそうだよな。
でも、わたし確信できないことは信じない。
でも、現実主義の私にとって、心臓が勝手に動く事自体が神秘という現実だから、やっぱ現実主義だろう?とおもうわけ。現実主義だからこそ、神が解るんだろうと。

よく、神が信じられないと言われるけど、なんで信じようとするんだろう?とおもう。
現実みればいいだけ。
信じるとか信じないとかの議論の前に、だれが心臓動かしてるのか?を注目すればいい。
体中に神経が通っている事をよくみてみればいい。
現実の中に神技が溢れてる。
どんなに神を疑っても、信じても、みんな心臓と神経を持っていて、いまも働いている現実をみるべきだ。

〇〇をしたら、△△になる。
という、条件に縛られていないか?
手作りをしたら、優しい子になる?
ベジタリアンなら健康になる?
結婚したら幸せになる?
ミルクの赤ちゃんはデブになる?
体を冷やすと病気になる?
神を信じると救われる?
人に優しくしたら好かれる?

これら方程式の結果をみて、じゃあ〇〇をすればいいや。
というのは、あまりにも表面だけで買い物的すぎる。
人間的じゃない。

だって、
手作りをしてても、気持ちのわからない我が子。
ベジタリアンで、病気やデブな人。
結婚して不幸な人。
ミルクの赤ちゃんでも海愛はデブにならない。
毎日水シャワーしてても、病気にならない我が家。
神を信じてないけど、救われてる自分。
人に優しくても、嫌われてる人。
これが現実じゃないか。

愛ってなんだろってずっとずっとずっと悩んで来た。

今の私にとって愛は、現実。神も現実。
どれだけ、クリアに自分をみれるか?
どれだけ自分を誤摩化さない行動をとれるか?
どれだけ失敗を認められるか?
そうやって、苦しくても自分を見詰められる人こそ本物じゃないのか?

ははは。
目の前の海愛を見てないでブログ打ってる愛なき自分。
これも現実。

これが合。




2014年8月23日土曜日

心を亡くす。

こっちきて早いちねん。
早いなあ。
ワイン畑で働きたいという意志が、大切な友人と出会わせてくれた。
昔ながらの製法でびっくりするほどの時間と手間をかけて創られるワインを見学し、試飲。時間が織りなす芸術の味を堪能してきました。


年だなあって思うのが、1年が早い、、、ならいいんだけど10年が早いこと。
このワインで感じたのが、10年後は50歳近く。
いままでの10年があ!!!!!!!っと言う間と考えると、これからの10年はジョ!!!!!!!!!!!っと言う感じか?
この10年の計画と、その次、その次まで考えてしまう年増娘りょうちん。
50歳の自分への誕生日プレゼントは「馬の赤ちゃん』って決めてる♪
育てて乗って最後は食べる(笑)。
冗談はよしとして、人生ってほんとに短い。いつ死ぬかもわからない。

そうだった。
明日死ぬかもだった。
子供達に今日いった。
食事の前に手を合わせて瞑想させた時に、『人生の食事の回数は決まっているから、十分味わって食べたまえ。』
ほんと、そうだ。
私たち人間全員が、確実に死に向っている。
これが最後の食事かも。
最後の会話かも。
最後の仕事かも。
最後のふれ合いかも。
最近は年増りょうちん、そんな風に考えて大事に一瞬を味わっている。

自分、やりたいこと、夢もたくさんあるけれど、何より怖いと思うのが、
心を亡くすと書いて忙しい状態で、死んで行く事。
(ここでは世間一般の忙しいというイメージというより、感謝できないという心の忙しさを指してます)
心がいつも今にいないで、味わえなかったら。
自分が見えなかったら。
感謝、感動が出来なかったら。
『お前はすでに死んでいる!』と自分に言う。
そして、何とかして切り替える努力をする。
感じないなら、死んでるみたいだし、生きてる心地がしないというか。
そうなると、とにかく色んな事を減らす。
イメージの中で、ホームレスになる。
家も、金も、家族も無い本来の0の姿になる。

それが、何も持たない最後の自分の姿だし。
最後、自分で自分が誇れるか?
酸いも甘いも辛いも苦いも人生味わって満喫できたか?
体験したい事全部したか?
やりたかった事したか?
人を愛せたか?
そんな自分を愛せたか?

貯金がたくさんあっても、
名誉があっても、
権力があっても、
財産がたくさんあっても、
これらの質問に自分が納得できないなら、私にとってそんな人生意味が無い。

5ヶ月になった海愛を抱ける『いま』は永遠に続かない。
愛する人との別れは必ず来る。
いつか、愛する師匠、一救恵先生に、胸を張れるように、いまは別れて心を鍛えてる。
いつか、別れた母親を、強くなった自分で抱きしめたい。
こっちきて一年。
この一年は多くの別れで沢山泣いた。
いま、いっぱい泣いて1年分強くなった自分は、新しい島を目指して今までの後悔と共に航海している。
大事なのは、失敗から自分の小ささをみて、それを今に活かす事。
いままで、たくさんの人を傷つけてごめんなさい。
そして、愛する人たちの為に、これから頑張ります。

一期一会。
一食全霊。
一発入魂!

みなさんの、悔い無き人生を祈って。。。



2014年8月10日日曜日

自分を育てる。

いや〜、断食で富士山登って帰って来たような清々しく生まれ変わった気分のりょうちんです。
やっぱり、人間あたりまえになると堕落するわ。。と実感。
育児に於いて、一番大事だと思うのが、心を大切にする事(愛がわかる事)。
でも、当たり前って心が無いと思う。
機械みたいでしょ。食べれても、貰っても、生きれても、誰かと一緒にいても当たり前。
感動がない人生なんて、味のしない食事みたい。

断食で、見えた見えた自分の傲慢さ。当たり前さ。
ヒドイ自分。これが現実かあ。と。
合するって本当に苦しい。
ほんのちょっとの誤摩化しが、モヤモヤの元になる。
いちいち向き合ってあげないと、心のアーマがこんなにも溜まるんだってビックリした。
めんどくさがってたら、アーマがどんどん溜まってモヤモヤするだけ。
そういや、夫が良い事言ってた。
ドイツの言葉で、『人生の半分は整理』だって。
それ聞いて、浄化って整理って意味だから、ドイツ人は自浄作用の強い人種だと思った。
本当に家の中、とっても美しく整ってるし、おしゃれ。そんなに外見に力入れる人いなくって、その分、中(生活)にかけるのかな〜と思う。価値観が違うんだね。

浄化って聞くと、洗って流して嫌な事がどっか行くイメージがあるけど、とんでもない。
私にとって浄化は、整理するために、目の前に『はい、これがあなたです』と置かれるイメージ。大体おいおい!こんなかよ〜!って突っ込む始末(笑)。
でも、どこに何があって、自分はどんな人間か?整理できたら、モヤモヤも無くなる。

まっ、この小さな自分の心を育てる為に生まれて来たんだ。
小さくて、出来ない事もいっぱい、失敗だらけだけど、その分成長してる。
弱いながらに経験してる。
今回そんな、自分の心を育てる事を無視して来た事を反省した。
自分の心はイヤだと呟いてたのに、聞いて、言ってあげれなかった。
目標があるのに、弱い自分の心に流されて自分に厳しくできなかった。
大人になると、注意してくれる人は少なくなる。(ドイツは違うけど)
だから、自分で自分としっかり向き合い、厳しくも育ててあげる必要がある。
もうね、断食すると、自分のすべきことが丸見え。
それで、何始めたって?
あはは。ドイツ語の猛勉強。
あったりめ〜のクラッカー!な事を今までなんで一生懸命してこなかったのか?
かなり後悔した。一日単語一個やるだけで、いまこんなに苦しまなくてよかったのにい。
結局、怠けても最後に後悔するのは自分。
妊婦だしい。子供産んだしい。変化だしい。って色んな言い訳を集めていた自分の愚かさに呆れる始末。
自分で自分に厳しくしないで誰がする?(あっ夫が厳しかった。。)
そいや、夫が良い事いった。厳しくしないと、デザートが美味しくないって。
確かに。
ケーキ食べた後に甘いの食べてもね。
へろへろになるまで、運動した後のビールの旨い事!
だから子どもにも、嫌な事全部してから、楽しい事をしろ!って厳しく言う。
それは自分への戒めでもある。
そういや、小さい頃いつも遊んでくれたYちゃんは頭がよくって、いつも宿題やってくれた(笑)。
彼女はいつも右手にペンだこ作ってて、勉強嫌いな私は『かっこいいなあ』っていつも憧れてた。私なりにやっても、全くできないタコちゃん。Yちゃんはどれだけ勉強してるんだろ?って不思議だった。
彼女は、持ち前の頭のよさはもちろん、努力の塊で、今は女子でとっても珍しい職種で活躍している。やっぱりあのペンだこは尊敬に値するものだった。

だから、豊か過ぎる現代で、愛がわかるように育てるのに必要なのは、自己統制力かなと。
だって、楽にばかり流されたら、本当の楽しみがわからない感動も夢も無い子に育っちゃう。
だから、どんなに苦しくっても自分の心に厳しく向き合う。
自分に厳しく出来ない人は、人に絶対厳しく出来ない。
だから、自分をコントロールする力をつける。人や欲に負けて流されない精神的強さをつける。
本当に芯の強い人にしか流せない愛があるのだから。
今日も気合い!憧れのペンだこ目指して!


2014年8月3日日曜日

パイプ掃除

はあ。食べたいよ〜!と、夫のお尻を齧ってるりょうちんです。
今日で、断食5日目。まっ、レモネード飲んでると言っても、水分。
毎朝しお湯を1リットル飲んで、体内の細胞レベルのアーマ(老廃物)を下痢で流すんだけど、どうしてどうして。まだまだ出るのがヘドロ級のアーマ。
毎朝、何でこんなにと首を傾げるが、腸壁の面積はテニスコートくらいあるというし、それも芝生みたいなんだろうし、アーマはベタベタしてる訳だから、仕方ないか。
と思いつつも、不思議でならない。
体重も三キロ落ちて、体脂肪は2%落ちた。なのに、筋肉量とかは減らないと言う事は、三キロぶんのアーマがあったと言う事。というかまだまだ。
心と身体は繋がってるから、感情も爆発する。

どんどん、すっきりしていく心身。
苦しいけれど、途中苦しすぎてなんでこんな事してるんだ??って見失いそうになりながら、アーユルヴェーダのデトックスを実践。
身を以てやってこそ説得力があるからね。
あれ?真似したくない?
でも、詰まって病気になったら、自然に食べたくなくなるはず。

なぜなら、人間の心身は筒状。
例えれば洗面台。
詰まったり、変な匂いがしたりした経験ありません?
私は38年間(才)使って来た洗面台を想像しただけで、いままでよく詰まらなかったなあ。あっ。病気多数だった。あれは詰まりだったのか。。。なんて
自分を洗面台に例えます。
口臭や屁が臭いのは、溜まったヘドロが腐ってるから。
それを放っておくと病気になる。
いやいや、毎朝5回も洗ってもこんなに汚れがあるならば、
そりゃ、不調もでてくるわ。と感心。
だから、体調もどんどんよくなっていく。
肌は内臓の鏡だから、きれいになる。
高い化粧品を外から付けたり、健康食品を外からとったりするよりも、苦しいけれど効果は抜群だ。

というわけで、パイプ掃除、早くおわらね〜かな。と祈る、食いしん坊りょうちんでした。


2014年8月1日金曜日

反省。。。

あ〜。断食(といっても、レモネード飲んでる。)三日目、体重二キロ減、体脂肪1、5%減。そんなことより、精神的にゼロ点まで急降下!のりょうちんです。

なんかさ、前から自分のイメージする自分と写真の自分のギャップには薄々気付いてたけど、『この体重の数字は、G(重力)が増えただけ』と言い訳をし、自己正当化。
しかし、体重が減るごとに見えて来るのが、そんな現実を見れなかった弱い自分。

今朝は、『現実をしっかり見るから見せて』と根源にお願い。あはは、お願い通り嫌な事10連発。その中で見えて来たのは、自分はゼロの目で見てなかったという現実。
子どもに対しても、親としての期待や希望みたいなのがプラスになってて、現実の子どもを見てなかった。散々向き合って一番落ち込んだのが、合(愛)せてなかった現実。

愛って、パチッとキチっっと合って始めて愛になるもんだから難しい。
言い訳不要。要気合い。厳しいもんだ。
だから常に現実の自分を気合いで見ないと、周りの現実もみれない。
愛じゃないのに、愛のつもりになって変に酔ってしまう。

断食をしはじめたのも、なんだか自分への愛(合)が感じられなかったから。
なんか、パチッとしないで、モヤっとして、感謝が薄い感じ。
そんな自分への戒めから始めた。
食べれるのが当たり前、家があるのが当たり前、家族があるのが当たり前、人の親切が当たり前、生きているのが当たり前だと、プラス点で生きてるもんだから、減らす事が嫌になる。さっきなんか、私ドイツに居るのか。。?など当たり前の事にビックリしたり。

でも、食べれないと、、、、全てがゼロ点になっていくのを感じる。
当然、心身のアーマ(老廃物)も流されていくから。
ゼロ点の産まれたての状況まで持って行くから、素の自分が見えて当然。
赤子の海愛と、『家らは毎日同じの飲むだけ仲間だもんね〜。心身もキレイだもんね〜』と励ましあいながら、頑張ってる。
断然『足す』事の方が、『減らす』事より楽ちん。逆はめんどくさいし苦しい。
食べるのと吐くの。
聞くのと言うの。
買うのと捨てるの。
愛されるより愛するの。
貰うのとあげるの。
貯金と支払い。
得と損。
でもさ、これ逆が宇宙の法則。
でも、めんどくさいんだよ〜!苦しいし、損したくないし、現実なんて見たくもない。だったらこのままでいい!って思うのよね。だから、10年も体重を戻せなかった。

弱いな。自分。
いまも食べたくて仕方ないけど、そんな自分への戒め。
断食中は素直になれるから、人にして来た事を反省したり、人から受けた愛に感謝したり。
断食ってほんと、気付く事が多過ぎる。痛過ぎる。
今日はグウの音が出ない程落ち込んだ。私は落ち込む時はいつも徹底的。
変になぐさめられたり、元気出そうなんての嫌い。
自分を責めまくる。だって、真実じゃない。それを見れなかった自分の弱さは責めるしかない。それも現実の自分への合(愛)。

人は何にも無いときこそ力を発揮する動物なのかも。
こっちでは大学生の友達がたくさんできて、彼らとも話して思う。
夢が無い子が多い。恵まれた環境でそだっている。
断食?絶対嫌だって。ごめん、家の子は悪い事するとご飯あげない。
家の子だったらノーチョイス。
この前は丸1日食べさせなかった。それは、自分を見詰め直すために大事な事。
そして、健康にもいい。そのおかげで風邪も治った。
断食はお釈迦さんの時代からやってる大事な精神を強くする修業。
進化には欠かせないのだ。
そして、DNAは栄養をやらないことで目覚めたのと同じ、細胞が生まれ変わるという効果もある。だから、断食後は肌も目も心も清々しくなる。

な〜んて、偉そうな事言っちゃって。自分を励ましてるのさ。
だって、苦しいんだもん!食べたいんだもん!
でも、それ以上に進化したいという想いが少し強いからできる。

苦しい事を愛せれば、人は仕合せになれるだろう。という名言を残し、腹ぺこだし、おやすみなさい。。