2019年5月23日木曜日

お産〜パート1〜

16年前に第一子である長男を出産しました。
当時27歳の私は食べて大事にする妊娠で17キロ太ったのですが、
主治医もデブで『僕も太ってるから〜』と注意もされずに腹部100センチ以上
まで肥、メジャーでお腹を計る看護婦さんが、あまり見慣れない数字に『あれ?』と言いながら3回も測り直してました(笑)。

陣痛時も、日中仕事をしてました。
なんか下痢っぽい痛みだなあ。なんて思いながら、21時まで続いたので、
病院に行くか〜。と。元夫は、ワインパーティーに行っててあとで登場。
お母さんと妹と一緒に仕事もしてたし、家族で迎えたかったので、
3人で病院に。チェックをするとまだ2センチしか開いてないから
朝だなあ〜。と言われた。馬みたいな乗り物に乗ったり、みんなと話したり。
元夫もパーティーから登場。
だんだん陣痛が強くなってく途中で、アロマオイル塗ろうか?となり、
妹に腰に塗ってもらったら、しばらくして破水。
もともと、分娩台には絶対に乗りません!!と言ってたのに、
生まれるので分娩台に乗ってください!と言われて、動けないし、約束と違うって言って抗議。
急遽私のいる畳の上に清潔場を焦って作る看護婦さん、いろんなのつけたかったけど
どんどん降りてくる子供に間に合わず、『もういいわ!!』と。
すでに頭が出てる私を見て、『先生、会陰切開してください!』と言うので、私が『絶対に切らないでください!!』とまたもや抗議。
ご飯食べながら、先生が『本人が切らないでって言ってるんだからそれでいいでしょう〜』と言ってくれて、半分くらいいきんだら、息子がロケットみたいに飛び出して誕生しました。

実は、そのいきむか?いきまないか?の時に、呼んでた親友が登場。
『○○さんが来てますがどうしますか?』と間違った名前を看護婦さんが私に
言ったもんだから、『知らない人です!』と言って入れなかった彼女。
あの時もし入って来たら、角度的にマ○コ直撃だったので、未婚の彼女には
よかった結果となったかなあと勝手に思ってます。

とにかく、生まれた長男にすぐにおっぱいをあげて、少し自然に避けた幹部を縫ってもらって、朝まであまりの達成感と幸福感に眠れなかったのを今でも鮮明に覚えています。

その時、私はセラピスト4年目で、自然じゃないと!!ってこだわってた
不自然な時期だったので、絶対におっぱいで!!と粉ミルクも水も拒否してたので、体重が下がった彼に粉ミルクをあげようとした
先生と大げんかしました。
私が、あまりにこだわったために、彼は箱に入れたられて点滴をされて、
4日で無理やり退院した私は、泣きながらおっぱいを絞って彼に届けました。
どうしても自然育児がしたかったので、退院した彼にも徹底しておっぱい。
自然卒乳を選んだら5年間になりました。
今となると、そこまで無理にこだわったのも不自然だったなあと反省してます。

今、その彼はもうすぐ16歳になります。
とっくの昔に私の背を大きく越して、タケノコのようにスクスク病気もせずに
育っています。
ドイツに来てから6年、1回しか病院に行ったことないほどの健康ぶりです。
精神的には、まだまだ色んなものを大切にしていくように
教育していく必要がありますが、家族のこともちゃんと注意してくれるようにまで
強く成長しています。

一度は、強い反抗期があったのですが、ムーに助けてもらいました。
ムーがいなかったら、私は息子をちゃんと育てられずに、放任で甘々に育てダメな子にしてました。

10歳まで日本で育った彼は、一人で日本に旅行に行くのが夢です。
将来は、車か飛行機の設計士になるそうです。
自立心が強いのか、私の料理の作り方を聞いて来ます。
一人暮らしで作るそうです。

好きな子は、いたりいなかったり。
前は、男の子とばかり遊ぶから、ゲイ疑惑をかけてたけれど、
女の子が好きみたい。

兄弟喧嘩も多かったけど、最近は妹に数学教えたり、色んなことを教育するまでに
育ちました。

勉強は、好きなようで勝手にします。
言語の問題も最初は大変だったけれど、克服。
ドイツ人の友達よりもドイツ語のテストがよくできるまでになりました。
ドイツ語と英語、日本語を話します。
でも、常々彼に言うのが、勉強よりも人間関係の方が大事だと言うこと。
人間関係がうまく行くための勉強なんだと言い聞かせています。


優しい性格だからこそ、まだまだ強くなる必要があります。
優しさに強さが加われば無敵ですから。
そうなったら、あーーー息子と結婚したい!!(笑)

夜寝る前に、愛してるよ。といえば、僕も。って返してくれる時もあり。未だ胸キュン。

お産の話から進み過ぎたけれど、初子の可愛さは今でもひとしおなお産話でした。