2013年6月18日火曜日

憧れと現実の違い

憧れの人はいますか? はい、キースムーンと内田裕也です!! かおりです。

憧れっていうのは所詮、憧れで終わると思います。憧れる事自体、自分とほど遠いという真実…。チーン!!…ははは、大体 男だし!外人だし!ミュージシャンだし!つきぬけている変人に憧れる〜♡♡勝新とかも羨ましい。

 けれども諦めることは時に人生にとても必要だと思います。理想だけを追求める人生もちろんいいとは思う。 ただ私は時間がもったいないと思ってしまうし、そこには自分が思う仕合せが無いことに気付きました。やらずに後悔するのはイヤだけれど、合ってなかったら気付いて、見極めることも必要なのかな?とも思う。
しかし そこにしあわせがある人ならば、追い求めて走り回る人生は素晴らしい事だと思うから 私は…ってことなだけです。

 私はこのセラピストの仕事をこれからも一生やりたいと思うけれどもし、世の中から必要とされなくなる時がきたらそれはきっと引き際なのだとも思う。
だからそれまでは、働けるうちは大げさじゃなくて命をかけて働きたい。

 自分のこと分かって欲しい&話したい人は、それを活かすべきだし、自由に表現すると良いと思う。感性をのびのび表現して、普通じゃなくたっていいんだとか、レールに沿って生きない自由な仕合せがあるんだということをアピールして欲しい。
その存在を、ブログやFacebookなどがあるのだから沢山伝えて欲しい。
そういう役割はとても大きいと思うのです。
 
 私はそれがあまり得意じゃないからこの道なのだと思う。色んな事をたくさん出来ないし、1対1で向き合いたいし、聞く方が圧倒的に楽。昔からいつも相談役だったから話を聞きながらセラピーするのが性にあっている。
人体は本当に美しいと思うし、アーユルやアロマ勉強も好きだ。
ま、警察と世間話していてグチられたのにはビックリしたけれど…。

 それで、今朝たまたま草間彌生の特集を見たんだけれど もともと彼女は統合失調症で(ヴァータが高すぎてあまりよくない状況だと言われている。)音や、光、幻聴、幻覚などに悩まされて、そこからなんとかして生活して行くために絵を描き始めたのだそう。
 おーっ!やっぱり芸術家(ヴァータ)は、感性が豊かなだけに繊細で傷つきやすい。
原点が痛みなんだなぁと思った。だから絵をかいたり、音楽を演奏したり、旅をしながら自分を解放して浄化するのかなぁ?なんて思った。

 だからその自分の痛みを懸命にいやすことに専念すべきだとも思う。
他の人のことはとりあえずカファとかピッタに任せておけばいい。自分の心に集中してあげることがとても大切だと思うし、それが使命だと思うし許される人たちだと思う。

 アーティストとかってやっぱりみんなそうだもん。
病んだことがある人ばかりだし、変わっていることに苦しんできたり、刹那的だったり、繊細すぎて、ちょっと影があって、華奢でさ、凄まじい発想力があって、、、、憧れるよぉぉぉ! 痛みがともなっている作品が最高なんですよね。みんながみんなハッピーな曲&物を聴きたがっているわけじゃない、どん底の所から発信されるものに 生きる美しさとか弱さ、弱音、優しさ。人間らしさ、厚みを感じるのです。
苦しみは、人を時に癒してくれるから。

みんなそれぞれ役割が違う。私は、裕也には慣れない。
憧れという思い込みを手放して自由になろう。
心の声を他の雑音でけさないように。
自分でいきれる人生があと何十年、何年か、何ヶ月かなんてだれもわからないのだから。