2013年6月25日火曜日

思いやりを育てる

こんにちわ!優しいかおたんに、『人形買ったからお昼食べてなかったんですね〜、、分かってればお弁当作ってきたのに、、、』と言われて、その思いやりだけで胸が一杯になった涼子です。

こんな風にやっぱりセラピストの基本は思いやりだなと思うことがありました。

私の過去を知る彼と、もう一度そこに戻って心の整理をしようという事で、生まれ故郷の栃尾に行ってきました。今となっては上杉謙信とも縁の深い情緒ある土地だと感じました。

しかし、いつも死のうとしていた屋上についたとき、最初は大丈夫だと思っていたのに、徐々に記憶を取り戻し、涙と過呼吸と震えで立つ事さえ出来なくなりしゃがみ込んでしまいました。

自分の愛する母の愚痴られ役で、いつも母の苦しみを小さい胸で抱えてた。
自分の愛する父を罵倒する喧噪の日々。
自分の愛する両親は私が産まれたから別れる事が出来なくて苦しんでいる。
そんな母のストレスは虐待となって表れ、『産まなければよかった』『出てけ!二度と帰ってくるな!』『鬼』などなど、、、心身の暴力があった。

そんなときはいつも市営住宅の屋上のフェンスを越えて、下を見た。
愛する人が、自分の存在で苦しんでいるから死んであげたい。
自分が居なかったらお母さんは自由になれるし、もし悲しかったら私の大切さに気付くかな。
5階以上の高さがあるから、一度で絶対死ねる。
隣に住んでた、子供も誤ってベランダから落ちて死んだもん。大丈夫。
など、色んな事を考えた。
でも、自分が地面でペシャンコになってる姿を想像すると、死ねなかった。
まだまだやる事がある気がして、後ろから強い風でも吹かない限りその一歩が出せなかった。
そして、死ぬ事の出来ない弱い自分を責めた。
地獄だった。

ずっと自殺願望を抱えたまま大人になって、そういえば、今の彼と付き合う迄、消えなかった事に気付いた。だから、一緒なら行けると思ったけれど、発作が出て断念。
他の思い出の地を回った。

市営住宅に入る前は、山の中の平屋建ての貧しい人が入る住宅に住んでいて、そこでは楽しい思いでがあった。毎日、自然の中で、森に入って、イモリとかカエルを友達にして、タラコと筋子を孵化させようとしたりして遊んでた。そして家に帰ると小さな庭をヒマワリ畑にした嬉しそうな母の姿があった。
『涼子は明るいからヒマワリみたい』ってよく言ってくれた。
世話好きの母は小さな頃はずっと抱っこしてくれていた。

そうか、天から地に落ちたんだと納得した。
最初に愛をいっぱい受けたんだ。だから余計苦しかったのか。
なんて感じながら、最後にもう一度その屋上に戻る事が出来た。
空が近かった。
これが無かったら、本当に死んでいたな。と思った。

どんなに苦しくても自然はいつも寄り添ってくれる。
何かが、まだ死んじゃだめって言ってくれてたな。
それが、自然なる神だった。
そしたら8歳くらいから、話していた。
孤独と地獄の淵で、見つけた神と希望。
だから、セラピストとして手を取りクライアントの地獄に入って行けるんだ。
この体験が私の夢への原動力になっている。

地獄を受け入れた分、思いやりが育まれる。
だから落ちる事を怖がらないで、落ちてしか見えない真実がある事を信じて最後迄落ち込んでみて下さい。
死にそうでも海底にくれば、地面を蹴って上に上がれるから。
そして、そうやって強くなった自分に自信がつくから。

自分だけが苦しいと思ってしまうけど、みんな必死でいきている。
前世、先祖があれだけの苦しい歴史の中で生き抜いた強さが自分の中にあると信じて、思いやりの心を育てていきましょう。