こんちわ!日本から友達が来て、ベルリン観光を一緒になって楽しんでるりょうチンです。
それにしても、私も夫も、友達がいるから喧嘩しないとか、遠慮するとか一切出来ない性格。
もちろん、友達いてもいつもと変わらずケンカ。
友達も巻き添え(笑)。友達にも包み隠さず言う。
本当にケンカって誰とやっても自分が見えるなあと。
自分を見たい人はケンカをどんどんするべきだと思う。
まあね、今日はケンカというより、話し合いで解決できたけどね♫
そんなこんなで、見えたのが『恨み』の感情。
私は小さい頃から、虐待で育って両親を嫌って来た。
大人になってきて、それでも許そうと頑張ってもがいて今まで来た。
でも、相手を許そうとすると自分を許せなくなってしまうことがこの前解った。
親子だから、どんなでも愛さなきゃとどこかで思ってたのもあるし、どんな両親でも全部が悪い思い出ではない。感謝もある。
だから恨んではいけないと自分にブレーキをかけてた。
でも、それだと自分の存在があったから虐待されたと言う事になって自分を消そうとするしか無い事になる。小さい頃は相手を嫌う事で自分の存在を守れてたのに、変に物わかりのいい大人になって、小さい頃を思い出すと発作が出るようになってた。
そんな私を持て余したのが夫。
私も夫に当たってしまう。このままじゃ、愛する人を愛せなくて失うのも気付いてた。
やっぱり親にされたことを自然に相手にする。
私は、母の様に愛する人を壊す様な生き方をしたくない。
だから、ケンカの度に自分の事を真剣に見詰めるようにしてきた。
今回の発作が出てやっと解った。
ここまで自分は傷ついてる事。
そして、この事は恨むに値する事だという事に。
母を恨みたくなくて自分の存在を恨んでたのは間違いだった。
母のこの行いを恨んでる自分の心の声をやっと認めた。
そして、これを計らった根源も同時に恨む。
そしたら、心に空いた穴が塞がった感覚が起きた。
108種類の感情の1つ1つを人間は味わって死ぬって教えてもらった。
アーユルヴェーダでも私の大好きなマルマは108個。
マルマは感情など詰まりが滞る場所だからリンクしている。
1つ1つの感情に苦しくてもフタをしないで味わう素直さが私には足りなかった。
1つの感情を誤摩化すと、自分が何を感じているのかが解らなくなる。
鈍感になる。
例えれば子供に、嫌いな食べ物だからと残させないように、この食べ物を全部食べないうちは、次の食事は無いよ!!というのと同じ。
誤摩化した感情を味わわないうちは、次もない。
恨みの感情は苦いけど、これも人生だと思うと深い味わいになる。
人間は感情の動物。
1つ1つを誤摩化さないで、素直に活きようと思う。