2014年7月21日月曜日

家族だから、、、?

こんちわ!日本からはるばる仲間が来てくれて嬉しいりょうちんです♪

最近、大きな気付きがあった。
子供達が何でも許されると思って、甘えた行動をしてた。
彼を思って、言っているのにウルサがられたり、ご飯を食べる事も当たり前、誕生日のパーティーもプレゼントも当たり前。手伝いは頼まないとしない。
私たちの忠告も、ただのウルサいものだから、当然聞かない。

私は常々、子どもには愛を感じれるようになってほしい。というただ1つの願いを持って子育てをしてきた。
だから、どんなに忙しくても手作りの料理や、手作りのバックやスモックを作ったり、どんなに眠くても眠る前の絵本を読んで来た。

でも伝わったのは、何かをしてくれる事=愛だという錯覚。
だから、求めるばかり、あれして!これして!これ欲しい!もっと!もっと!って。
当然見えるのは、モット欲しいのに貰えない現実=愛が無いという錯覚。結果不満と文句。
この前、丸理に手作りのリュックを夜なべで作った。
そのバックを友達も買いたいって言うから作って。と言われた。
でも丸理に『これはお前に作ったママの愛が詰まったものだから、いくら払われても、彼女に同じ物は作れないんだよ』と言った。その行為の奥にある愛を感じれる子どもになってほしいから。

私は行動の真意を見て欲しい。
長男に厳しくしかるのも、手伝いさせるのも、みんな彼のため。
でも、それを恨まれて、それが出来ない事に対して言い訳されて、自分のダメな部分を見詰めないで、楽な方に流されて行く彼らが許せなかった。
だって、蟻とキリギリスだよ。
一生懸命やれば、冬は越せる。
努力しないで、楽ばかりを選んだ結果は必ず自分に回って来る。
ただ、その時反省すればいいけど、その自分でした結果に対して、周りや状況のせいにして責任を取らないような、かっこわるい生き方は私は絶対嫌だし、それを子どもにも許せない。

彼らに言った。
『家族だからって何でも許されると思わないで。今のお前達の生き方は、家族じゃなかったら人間として付き合わない、愛しているけど大嫌いだ。
このまま、自分を反省できずに、自分さえよければいいというまま大人になったら、何の愛も感じられない不幸で淋しい人生を活きる事になるし、そうはさせたくない。
私たちは、お前達を愛しているけど、お前達からは利用されてるようにしか感じられなくて、悲しい。子どもだからという言い訳は、この家では無いよ。親子以前に人間同士だよ。尊重って、愛している相手と自分を大切に思う行動なんだよ。』

私もいままでの子育ての間違いを見詰め返した。
失敗だらけ。だからこの現実。
自分のやって来た事の間違いと向き合う。
彼らは、私の愛しているという感情にあぐらをかいて、その愛を自分のいいように利用していた。
じゃあ、私は?
ハッと気付いた。私がお母さんになるために、この子たちを利用していたんじゃないかって。お母さんをするのに、必要なのは『子ども』じゃないか。
愛って合だから、必ずお互い同じ想いで噛み合ってる。
自分は愛で相手が利用だったら、とっくの昔に気付いている。
同じレベルで噛み合ってたから間違いに気付けなかった。
そんな自分に悔しかった。
愛しているつもりだった自分。でもエゴだった現実。だから、子どもがこうなった責任。
涙が止まらなかった。
それを聞いてパパと海渡が傍に来た。
パパが『今泣いてるママを見て何を感じる?』
『悲しい。。。大丈夫かなっておもう。。。』
『何かしてあげたくならない?』
『。。。。もじもじ』
『オレだったら、こうやってギュッとしたくなるよ。愛って何かしてあげたくなる事なんだよ。だから照れないで、行動するんだ』って。

三人で抱き合いながら泣き合った。
実は数日前から、私が、無い無いと満足しない彼に、大事なのに気付くまで家から出さないと言った。本当に無いという意味を教えてあげる』と心を鬼にした。
卒業パーティーも、誕生日も無し。
苦しかった。彼がどれだけパーティーを楽しみにしてたか知っていたし、私も見たかった。最後になるのも知っていた。でも、それ以上に愛に気付いてほしかった。
逆に愛を感じれないのなら、何をしてもその場限りの快感や現実逃避しか得られない、どこか空しい日々を送るだけだから。

愛するって、厳しいことなんだと始めて知った。
『自分の子どもが』悲しむ姿を見たくないから甘やかして来た。
『自分の子ども』を傷つけないように、甘やかして来た。
その結果愛を感じれない、感謝のない子どもに育ててしまった。
『自分の子ども』以前に、人間同士なのに。

愛って甘いイメージ。でも与える事、許す事で相手が弱くなったり成長できないなら、愛じゃない。しかも、家族だから何でも許さないといけないというのは、宇宙の法則にあってない。
私は嫌いな人でも、愛せるから付き合う。
でも許せない人とは合せないから付き合えない。
それは家族でも仲間でも同じ。
自分の生き方が相手を失う事にもなる事を子供達に解って欲しかった。

100%相手の仕合せを願っての厳しさや行動が愛だと思う。

その表面だけしかみれなくて恨む相手なら、求めあうものが違うということ。家族にはなれない。
家族間で、本物の人間関係が作れないんだったら、外でも作れない。
本物の人間関係の中に、人生の旨味が隠れていると信じている私にとって、これからが本当の育児だと肝に据えてかかって行こうと思っている。

愛って気合いだ。
自分も他人も誤摩化さず、愛する人と、とことん向き合う覚悟が大事だと解った。