2015年11月17日火曜日

受動態をやめる。

夫とずーっと噛み合なかった大きな原因の1つ『自分が日本人特有の受動態であること。』を発見!
もやもやとしてた、原因をクリアにみたくてブログでまとめようと思った。

まず、日本人特有とも言える、常に受動態(受け身であること)は、こっちでは全く通じない。理解すらされない。

ちょっとまって。
自分が活きてるんだったら、自分が受け身であることっておかしくない?
活きるって能動態(自主的)な行動。
私は、こうしたい。
私は、こうありたい。
私は、これが欲しい。
私は、理解したい。

なのに、
人に、どうされたい。
人に、こうあってほしい。
人に、貰いたい。
人に、理解してほしい。

基準が人。自分じゃない。占いも受け身。受け身のうちは自分が全く見えないから、占いで自分を確認する。
本来、自分で自分の事がよくわかっていなければいけないのに、周りに自分を
教えてもらう。
受け身というか、甘えというか。楽チンというか。
周りに自分の価値を決めさせるという、捨て身の間違いが自殺をも引き起こすと私は思う。
それが私の中に染み付いていて、『これくらい、解ってくれるだろう。』『何も言わなくても動いてくれるだろう。』っていう、甘えの態度をだす。

これがずーーーーっとの大問題だった。

特に私は仕事では、これが出ないんだけど(なぜなら、自主的に選んでる意識が強いから)家族だと途端に受動態の甘えをだす。

家族だから、これくらい許されるだろう。
家族だから、これくらい解ってくれるだろう。
家族だから、やってくれるのが普通だろう。
家族だから、休んでいいだろう。
家族だから、怠けてもいいだろう。

自分で選んだ家族なのに。
自分が仕合せにする家族なのに。
自分が努力しないといけないのに。
自分が理解しようと努めないといけないのに。

自分の不甲斐なさで、不仕合わせなのに、それを人のせいにして文句言うのは間違ってる。
そして、その不甲斐ない自分を責めるのも間違ってる。

家族や周りが教えてくれる自分の間違いを、よく聞いて直せばいいだけの話。
そうすれば、好循環が産まれる。
でも、それは自分がそうしたい。という自主的な態度で居ないと出来ない。
自分は、本物の人間関係を、築いていきたい。
幸せな家族を創って行きたい。
その自主的な思いだけが、自他を変えるエネルギーになる。

それが、逆に
変わらないといけない。
やらなきゃいけない。
何かしてあげないといけない。
それは、何も変わるどころか不満しか溜まらない。

誰も、何にも強制されるものは無い事が真実。
全ては自分が5感で感じて、自分が行動するもの。
誰の言う事を聞くにせよ、それを決めたのも自分。
自分が活きる事の全責任を意識する事で、私はこの悪循環から抜けるのだ。