2014年5月3日土曜日

続 自分を大切に

お久しぶりです。かおりです。早いもので娘も5ヶ月になりました。
涼チンの前回のブログ…昨日の夕べによんで泣きました。
そしてさすがC&A(チャゲアス)です。私も同じテーマで悩んでいました。

私も過去の苦しい経験を持ち続けています。どんなに楽しいことがあっても頭の隅にそれはいつも存在していて、心がいつも虚しい。
それをなんとかしたくて、根本を見つめてみたり、理由を考えたり、なぜあの経験が必要だったのか?何が悪かったか?自分の生き方が悪いからかも、人生は修行だもんなぁ、自分がやったことが返ってきているのだろうか、、と思うこと数年。
けれども いくら向き合っても、気持ちが癒されることがなくて、出口がなくて苦しかった。

けれども、そうやって過去の嫌な経験にとらわれて未来を潰すことはないなぁって。十分苦しんだんだったら、そこから自分を楽にしてやろうと思った。できることをやりきったならそれでいいじゃんって。わざわざ自分で自分を追い詰めて苦しむことはないなって。
前に涼ちんが、トラウマはいつかきっと自分の勲章になるっていってたのを思い出した。

お産を経験しておもったけれど、誰もが生まれてくるときにあんなに苦しい大変な思いをしてくるのだから、そこを乗り越えてこの世に誕生した自分をもっとあいしてやりたい。


そして、苦しい思いをして生んで、一生懸命育ててくれて、いつも話し合ってくれた親の大きさを改めて感じた。 
私は娘がしあわせだったらそれだけでしあわせ。私が自分を大切にしなかったら娘もその背中をみて育つと思う。
自分らしく、自分を大切に、一度しかない人生のなかでもっとしあわせにしてやろうと思う。

2014年5月2日金曜日

自分を大切に

無事生還しました!涼子です☆

前日の夫の注射をする姿を義母にビデオにとってもらい、家族に見送られて、病院入り。
急患が入り、待たされる事7時間。待ってる間、夫と病院のベットで爆睡。
寝ぼけたまま麻酔で寝る事1時間。術後は吐くと悪いから食べないでと言われた矢先にケーキをパクパク。いざとなれば、言葉が解らないフリすればいい。ふふふ。便利。

おかげさまで、ケツのプロ医!痛みもほどほどに、どんどん良くなってます。
自分を無視してはいけないなあ。ということなど、悟り多き体験でした。

その内容はというと、退院の朝4時に目が覚めて、瞑想をした時の事。
その時、いつも見えている光が見えない。
焦った。
必死で探した。
『どんな事もするから、何処にいるか教えて』と言ってしばらくしたら
『探している光は自分の中にいる。集中して感じてごらん。もっと自分を大切にしなさい』と。
そして、自分の中心に集中した。大切にするべきものはいつもここにある事に涙が溢れた。

入院中、母に手紙を書いた。
許そうと思うと許せない事がでてきて、受け入れようとすると受け入れられなかったけれど、自分の過去の体験の全てを尊重しようと思ったら、自分を大切に思えて、今はお母さんを誇りに思うし、お母さんでよかったとまで思えた事。
膿で苦しんでたここにも1つの理由がある。産み(膿)の親。
許せない事を手放す事も勇気がいる。
だって、相手を責めていれば自分の非を見なくてすむ。
相手を責める事で自分を保ってきたのだから。
怖かったけれど、過去の感情を手放す事で自分の本当の姿が見えて来た。

もう二度と会えないかもしれないのに、母の事なんで、抱きしめなかったんだろう?

過去にこだわって意地張って生きていた弱い自分が見えて来た。
こうなると色んな言い訳をしたくなる。
でもどんな言い訳をしても、もう会えない事もやれなかった事も変わらない。
ただ、相手を責めるしか無かった弱い自分がいるだけ。

あのとき、心から抱きしめたいと思った自分の声を大切にしなかった。
本当は会いたいと言っていた自分の声に耳を傾けなかった。

自分の中の光を大切にするという事は、こういう声を大切にするという事。
モヤモヤしているなら、心の声にただただ耳を傾けて。
理由は要らない。いいわけもいらない。ただそのままを感じて、それを大切に1つ1つ行動に移していける人間になっていきたいと強く思った。

退院時、ジョギングしていい?とドイツの医者に愚問を投げた。
当然答えは、『したかったらどうぞ』
だよね。こっちに自分を相手に委ねる感覚はない。
自分の事は自分で決める。
どんな事があっても自分の責任。
自分がしたかったらする。

相手がどうのこうのと考える前に、自分はどうしたいのか?を大切に生きていける強い人間になりたいと思った尻(知り)手術でした。


2014年4月23日水曜日

迷惑

こんちわ!そんなこんなで書く事が楽しくなって来たのに乗じてる涼子です。

この間の『遠慮』のテーマに続いて今回は迷惑。

『人に迷惑かけるな』というのは日本人なら誰でも教えられた事がある事だと思う。
なんでだろ?って考えた事あります?
夫婦でそれについて話合った所、たぶん日本人は断れないからではないかという結論になった。

相手が断れないとしたら、お願いする方は遠慮して迷惑かけないようにする必要がある。
でも相手が断れるとしたら、お願いする方は考えないで出来る。

そもそも、人間は活きてるだけで迷惑な存在だと私は思う。
人はどんなものでも生きてるものを食さないと生きていけない。
その食べ物にとって人間はいい迷惑。

ストレスが溜まると夫や家族に対して喧嘩売る。
これも、相手にとっていい迷惑。

だから私は人に迷惑かけても、かけられてもどうでもいい。
というか迷惑だなあと感じるアンテナが無い。
だって、当たり前だもん。

今は義母が2週間泊まりに来てるけど、だからって自分を変えないし嫌なものは嫌っていうし、出来ない事はしないし、逆にお願いする事もたくさん。
私とキャラが似ているオープンな彼女は実母よりもずっと気を使わなくていいから楽。
実母は、はいはいって言いながら不満を溜めて、陰で文句を言うから解りにくくて嫌。
そういうのは迷惑というよりウザい。

夫も言うけど、そもそも迷惑かな?って相手の事考えてもわかるわけない。
自分にとって迷惑な事も、相手にとって迷惑じゃないこといっぱいある。

いまは『産後で迷惑かもしれないけど、、。』とオイルを頼んでくれたりすると、迷惑なんてとんでもない!出来なければ初めからしないし、時間がなければしないし、夢を叶える資金になるんだし、人を癒すことが自分の使命だし。
そして、迷惑かけられて嫌だと思う人は、その前に付き合いたくない人なんだから、付き合わなければいい。
愛していれば、どんなことも迷惑だと感じないはずだ。

最後に、迷惑をかけずに生きようと遠慮すれば、自分を殺さないと出来ない。
私はこれが、日本の自殺に関連していると思っている。

だって考えてみれば、人生はじまったばかりの何にも出来ない赤ちゃんが迷惑かけずに生きようと思えば、死ぬしかないのだから。








2014年4月19日土曜日

遠慮

おかげさまで、天気のいい時は、ジョギングを始めた位元気な涼子です。
やんちゃすぎて、娘の幼稚園の送り迎えに、息子のキックボードを使ったり(この前消防車にひかれそうになって、これは悪い見本ね。と見てた娘に言った。)、今度はインラインスケートやろうと目論でる。こっちはスーツ着た大人がキックボードやインラインで通勤するのを見かける。あと、通勤など行き先が一緒の人は乗り合いしたり。エコだなあと思う。
やっぱり昨日義母が、ベルリンから8時間乗り合い車でやってきた。
カウチサーフィンとかも考えると、日本と違って人と人の距離が近いなあと思う。

私も遠慮しらずな、、、要するに図々しい性格だから、『プレゼントしたいけど何が良い?』って聞かれると、あれとこれと、、、ってお願いする。
だって、大切な仲間から頂くものをずっと大切に使いたいもん。必要なものだったら、いつも自分の傍で大切に使える。使うたびに、その人の愛を感じられる。
だから要らないのは要らないってハッキリ言う。
使わないのもらっても、自分の傍に置けないもん。そういうの嫌だし。
ということは図々しいって、要するに正直という事か。(笑)

そんな自分は遠慮が美徳な日本が合ないわけだ。
そういや、昔ホステスのバイトしてたとき、『おつりは要らないよ。』って言われて『ありがとう!』といって貰ったら、ママに『りょうちゃん、こういうときはとりあえず、いいです〜とか何とか言ってから貰って』と言われ、どうせ貰うんじゃん。何で要らないって嘘つかんきゃんが?オラ出来ない!あとHしてて良いくせに『だめっ』って言ったり。
『つまらないものですが』と言ってプレゼントしたり(夫はじゃあ要らないって言う)、複雑で難し過ぎる。

だから、相手の思う事の裏を読んで言動したりするけど、疲れません?

そもそも、スーパ−KYの夫が言うけど『人の気持ちはわからないから言わないとだめ』って本当だと思う。相手の立場になって考えたって、それを考えてるのは自分だから、グルグル考えるんだったら、質問するべき。
ドイツ語講座のクラスの人も、イタリア、ルーマニア、ブラジル、イラン、トルコ、パキスタン人などなど色んな国の人がいるけど、みんな解らなかったら質問は当たり前。
私も、最初は聞くタイミングを見計らっていたけど、みんなKYだから、そんな事してると聞けないのがわかったから、とりあえず手を挙げ続ける作戦は成功。

みんな正直に活きている国では、自分の考えや意見を言って当たり前。
この間、幼稚園の迎えが5分遅れたら、『私たちも早く帰りたいから今直ぐ迎えに来て』と言われて嬉しくなった。こういう素直なの大好き!キックボードで飛ばして1分で迎えにいったさ。
こっちは無料残業なんて考えも無い。嫌なものは嫌だし、良いのは良い。ただ、これは個人で全部違うから言わなきゃ。言ってもらえると思うと安心出来るし。

ドイツは、歴史上の間違いをハッキリ間違いとして認めて責任をとっている。
間違いや失敗は当たり前で、その上でどうして行けば良いのかトコトン話合う気質。
だから、注意されるのは当たり前。最初はウルサいな〜と思ったけど同時に愛も感じた。
そもそも、間違いを指摘するのってパワーが要るし面倒くさい。
それでも、相手の成長の為に注意するって愛だと思う。

まさに子育てがそう。昨日、夫に注意されてハッとしたのが、子どもに対して怒った言動をしてる事。自分は叱ってると思ってたけど、言葉のイントネーションが悪過ぎると言われ、そういや息子も同じ態度で嫌だ〜と思ってたけど、私の映し鏡だった。
だから、昨日は息子に『いままで言い方が悪くてごめんなさい。これから気をつけるね』と言った。

で、考えてみると普通に注意すればいいだけだったのねって目からウロコだった。
注意自体、するのもされるのもダメな文化で育ったなあって思う。
注意されないように相手の事を考えて立ち回る。
バレないように隠れて酒飲んだりタバコ吸ったり浮気したり良い人ぶったり。
とりあえず、表面を繕う。
どの国だって間違うんだから、日本が外国にした罪だって認めて責任とれば楽になるのにね。国民からしたって見苦しいんだから、他国から注意されて当然。
のび太だって、なぜ0点のテストを母に見せないのだろう?
そして何でそれで母ちゃんが怒るんだろう?
苦しむのは自分であって母ちゃんは関係ないだろうが。
ただ、私の場合大工になりたい息子に必要な勉強はしっかり伝えてあるし、勉強の意味も教えているつもりだ。
『私も仕事したいから、毎日ドイツ語の勉強をしてるんだよ。勉強は自分の為にするものだ』って息子によくいう。何でもやったことしか還って来ないのが現実。
注意されるってことは、相手にとって自分の言動が痛かったという事。それでも意義があれば言えば良い。


NOと言わないのは弱さだと思う。人を傷つけないようにって言うけど、NOと言われたくらいで傷つくのが悪いと私は思う。NOと言われて傷つくんじゃなくって、気付いていける人間関係を築きたい。
そういや自分の悪口を陰で言う子達に『陰で言っても何にも変わらないから今言って』と言ったとき、痛かったけど、きちんと言ってくれて嬉しかったのを今でも覚えてる。

そんな私が一番悲しいのが遠慮。
遠慮して言わない。でも言いたい事は溜まっていく一方、それをどこかで吐かないとだめだったら、全く関係ない身近な人が犠牲になる。
これを言っても大丈夫だっていう信頼感があれば、何でも言える関係が築けるのに。
逆に言ってダメだったら、それまで。でいいじゃん。
本性が出せない人間関係ほど疲れる事無いし。

だから、子どもにも注意されるしゲンコツされる。間違うに決まってるじゃん。子ども持つ前に親になったことないんだから。

結局、私の意見は遠慮が美徳とする日本の意見に反対と言う事。
なぜなら、遠慮して日本人魂を出さないのはもったいないと思うから。
本当に美しい魂。ただ遠慮と言う鎧で守って来た分弱いだけ。
これから、その鎧を脱いで人と意見を言い合っていけば、本物の輝きが出せると信じてる。

みんなと同じ意見はありえない。
肉体構造は同じだけど、心は全員違う。
右向け右!で、自己犠牲にする悪者の企みに落ちないで、自分の心は自分で守るためにきちんと伝える努力をおしまないでほしい。

最後に、産まれたての赤ちゃんでもキチンと意見を態度で出す。
相手を考えて遠慮してたら死ぬしか無いのだから。


2014年4月14日月曜日

言い訳

かおたんに続き、ミルク、食事作り、掃除、ドイツ語勉強、筋トレ、ミルクな生活であ!!っと言う間に日々が過ぎている涼子です。
そして、オイルの注文もたくさんありがとうございます。そんなこんなで3ヶ月以上待ちという状況も付き合っていただき感謝しています。

ドイツ人の義母や、友人が少しづつ増えて来て思うのが自分の意見がハッキリしているという事。最近できたハンガリーのイディコという友達も、ドイツ人はハッキリしてていいって言ってた。
近い国の人もそう思うという事は、ドイツ気質とも言えるのかな。
さすがピッタの国!イレズミとピアスが人気な訳だ。

そしてドイツの中でも辛口のベルリンで育った夫と一緒になって何百回ケンカしたことか。
今日も、過去を言い訳にしてるし、その言い訳を一番に自分に対して無意識に使っているよって言われて『カッチ〜ン!!』

今から考えれば、過去は間違いと失敗だらけ。って言ったら聞いてた息子が『でもママが生きてた事はよかったよ。生きてなかったら僕もパパにも会えなかった』と泣ける台詞。
ま、半分半分だけど、過去のマイナスを今出来ないことの言い訳に自分がしているというのはあまりにも無意識でビックリした。
なんせ、言い訳が大嫌いだから、してる訳ないって、、これも言い訳?

自分が見えないって怖いわ。。。
だから、人の意見って大切なんだよね。自分の視点じゃ見えない自分を人は見てくれる。

今はドイツに居るけど、多くの愛する仲間は日本に居る。だから、どこかで馴染まないようにしている自分がいるかも。

子育ての失敗も、過去がそうだったからと良く言ってるな。

過去があっての自分だけど、そればかりで今の自分の改善点が見れないのなら過去の意味が無い。

師匠も言ってた。
過去の整理がある程度出来たら今度、過去を言い訳に出来ないよって。

私自身も大きな前世が入っているけれど、だからってそれを今に活かせないなら何の意味もないと思っている。

だから、無意識でも今しない事の言い訳を過去から引っぱりだしてくるの、やめると決めた。

言い訳って『良い訳』だから本人は気付きずらい。だから、とっても痛いけど、たまに自分を疑ってみるのも大切よねって思った。

で、過去をどう捉えるか?考えてみた。

今まで、許そうと頑張った。
でも許そうと思うと許せない事ばかりが出てくる。

そこで『尊重』してみようと決めた。
良いも悪いも、失敗も成功も、甘い経験も辛いのも、許せない事も許せた事も全部そんな経験をした自分を『尊重』してみようと。これなら、自分を大切に出来る。

私は凄い人になろうとは思わない。ただ、今のただ目の前の事を愛せる人間になりたい。

それには今の自分を綺麗事の『良い訳』で弁護せず、やらない理由を『言い訳』しない気合いが必要だと思った。

先日、気付かずに友人と夕食を家で食べててワイン一本1人で空けた。
だって、美味しいワインが200円とか300円だし〜。
妊娠出産がんばったし〜。
久しぶりの大好物(アルコール)の解禁だし〜。
って。
自覚してる言い訳は許すことにしよう(笑)











2014年3月17日月曜日

儚いもの。

こんにちわ。産後もうすぐ1ヶ月、大分リズムにも慣れてきた涼子です。
産前からみんなで育児が出来るように、今回は母乳とミルクで育てようと夫婦で決めてました。
そしたら赤ちゃんもミルク好き。オッパイは10分も飲まず、締めはミルクじゃないと気が済まない。右と左のオッパイ、ミルクの3軒ハシゴで最後はゲップして潰れるオジさん状態。『飲ませて〜ください〜もう少しい〜♪』と歌ってあげる。3軒目では、『お客さん!おかわり自由だよっ!どんどん飲んで』と居酒屋状態(笑)

ただ、体を起こさないといけない、夜中のミルクに慣れなくて苦労した。
眠いのに〜!ってストレスだったけど、赤ちゃん育てる事が大変に決まってるぜっ!て事に気がついたら覚悟が出来た。自分で選んだこの道、やってやるぜって。
そう考えたら、言い訳が多い自分に気付いた。
妊娠してるからあ、産後だからあ、疲れるからあ、時間ないからあ。って自分がやらない事に言い訳してた。

今は朝5時。とっても美しい満月を見てたら書きたくなった。

日本に居る時によく夜中に外で、大好きなアルコールを手に空を見てた自分を思い出した。自分自身を見つめ直す、孤独な時間。
あの時の自分は何でもあった。家、仕事、仲間などなど。
なのに、どっか違和感の苦しみ。

こっちに居ても当然、家を懐かしく思ったり、仕事が恋しくなったり、みんなに会いたくなって苦しくなったりする。
でも、あの時の違和感はもう無い。

海愛は、裸で産まれて来た。その海愛に、数ヶ月前に心臓の手術をして死を見た義父は『死んであっちの世界に一円も持っていけないから』って、たくさんのお金をプレゼントしてくれた。
そう、真っ裸で来て還る。
人間って儚い。

結婚したって、子ども何人産んだって、必ず別れが来る。何をしても自分のものにはならないし、無くならない保障は無い。真実、持てば持つ程失うのも多くなる。
誰とどんなに愛し合ってもいつか必ず来る別れ。
人間関係って儚い。

この間、夫が面白い事言った。
『最後に自分の人生を、映画のように見る時に自分が観たい映画にしたい。』って。
そうね、唯一持って帰れるものって、記憶という映画だけかもねって思ったら、二度と来ない『今』という時間を、ケチらずに自分の納解(なっとく、、解いて納める)出来る時を重ねて生きたいと思った。
巻き戻しなし、一発本番。
人生って儚い。

儚いからこそ、労力でも、時間でも、お金でも、愛でも、もったいないって抑えて生きる事自体が『もったいない』んだなって。
自分はどんなに疲れても、時間がなくても、お金が無くても、愛せなくても今の自分の100%を出して、納得の行く自分映画を作りたいと思った。

人生をとことん楽しむために、どんな苦しみからも逃げないと。


2014年3月3日月曜日

産まれました☆

こんにちわ!久しぶりです。涼子です。
早いもので、こっち来て半年がたち、子供達は友達もたくさん出来て、ペラペラ話しているので古機種の私は教えてもらってます。子どもってやっぱり凄いっ!

そして、新しい命が2月20日の22時半、2780gの元気な女の子、海愛(かあや)セシリアを風呂出産して参りました。
3人目で余裕だろう、、と思いきや、余裕があるからこそ苦痛と直面!1、2子目と無我夢中だとしたら、冷静に死にそうな苦しみと向き合う。みたいな。
3分おきの陣痛になった時に、『風呂に入らせろ〜!』と要求。
お湯に入ったら、あれ不思議、痛みが半分以下に、、、。
陣痛の合間30分位は、パパと冗談いいながら笑ってたけど、その後の30分は死が目の前にちらついた。風邪っぽかったのもあり、長風呂が苦手というのもあり、母の心拍が怪しいので調べると言われてから、一気に全開になり2回のいきみで産まれて来た。

大粒の涙を流しながら、泳ぎ出る娘をキャッチしたパパ。
そのまま私の胸で抱きしめて、お互い命があったことに感動した。
本当に、出産は命を賭けた営みなんだと3人目にして痛感。
産んでる最中は、『もう二度と無理!この痛み覚えててやる!!!』って思ったのに、今や男の子も欲しい〜っ。ほんとバカ。

条件で考えると、色んな事に縛られるけど、不思議と海愛が来てからの方がやる気が出て来て動けている。やっぱり、表面だけをみて判断してはだめ。
まっ、家族5人って多いけど、昨日小姑12歳が遊びに来てくれて話してて笑ったのが、私は奇数の子ども量は嫌。3人産むなら4人だし、5人なら6人がいいって。
そしたら、小姑が大人になって赤ちゃん一緒に産んじゃうねって(笑)
まっ、こればかりは自然からの預かりものだから自分ではどうしようもないけど。

とりあえず、海愛は日本、ドイツ、トルコ、ロシア、たぶんポーランドの5血種混合のスーパ−ミックスちゃん。
愛で世界が1つになるような、そんな素晴らしい社会を子供達に手渡したい。それに担える自分に出来る事を一生懸命やっていこう!と強く決意した出産でした。
そのために、まずするべき事は自分をしっかり愛する事。そしてパートナーも。
そうやって家族単位が仕合せになる事でしか社会は変わらないと信じてる。
どうやれば、自分が仕合せか?人を仕合せに出来るか?真剣に考えたい。
自分をしっかり愛せれば、自ずと道は開けて行く。

これからも、家族5人をよろしくお願い致します。