2012年5月17日木曜日

条件

こんにちわ。くら〜〜いトンネルを抜けはじめた涼子です。#’ ’#
宇宙の半々の法則は頭で解っても実体験でしか身に付かない事を痛感、、。
勇敢な変態涼子は、闇だって終わりがあるさとどっぷり毒に浸かっていました。
マイナスもずっとは絶対続きません。残念ながらプラスもですが、、。
そう考えると、あの人は得だな〜とか可哀想とか無いと思う。
イメージしてみてください。鉛筆の先っぽがプラスなら、シッポ(??)がマイナス。
マイナスを取ろうとシッポを切っても、切った所がシッポになる。
マイナスを無くそうとすると、鉛筆が消えちゃう。

でも、マイナスって本当に嫌ですよね。
人に嫌われるのも嫌だし、嫌うのも嫌だし。
私はスッパいのや甘すぎるのも嫌い。
嫌なものは嫌。

理由は無い。
同時に好きなのにも理由が無い。
なんで、夫やお酒が好きなのか??聞かれても理由は無い。

小さい頃、好き嫌いを無くそう!と先生に教わったけれど、なんで??
なんで無くさなきゃいけないんだ?
何でも食べれて、誰にでも好かれる人間を作ろうとしたのかな?

小さい頃から、変なものは変だと疑う子供だったから、バカバカしいと思っていた。
小さな頃、近所の意地悪ババアによく嫌みを言われたあんなヤツを好きになれるか!って。
お母さんも、あんたが嫌いだと思う人は相手もあんたの事嫌いだよ。
って言われて育った。本当だと思う。だって好かれる必要ないし。

玄米だって体にいいって食べていたけど、実は嫌いだった。
私の体質には、もろ玄米は合わないから少しなら良いけど、たくさんは美味しいと思わない。
一般的な常識や条件を抜いて、美味しい!と思うものは何でも自分にとっては滋養になると信じている。

いい人だから、普通だから、近所だから、親戚だから、親だから、先生だからとか、無農薬だから、体に良いから、毒だから、と条件で物事を見てしまうと、そのものを自分が好きなのか?嫌いなのか?が見えなくなる。

嫌いを認めるのは怖いと思う。嫌いだから辞めるとか、そういう極論じゃなく、嫌いだと認める事がとても大切だと思います。あ〜これ私嫌いなんだ〜でいい。半分嫌いだし、半分好きで、それが『自分らしさ』でしょ??
よく嫌いなのに直面すると、どうすればいい??って言うけれど、嫌いな物はどうにもならない。黒と白をグルグル混ぜて美味しいのはカフェオレくらいさ。
自分の好きと嫌いを混ぜると、得意や個性がなくなっちゃうよ。

うさぎとカメのカメが、競争を『やってみなきゃわからない!』と言った名言があるけれど、好き嫌いは本当に味わってみなければわからないし、まずは条件だらけの世の中を疑って、がんじがらめになってしまった自分の心と向き合うことが大切だと思う。