2012年5月2日水曜日

子育て

こんにちわ!カーヴィーダンスをしてストレス解消している涼子です。
ヨガ歴は8年くらいだけど、ダンスはセンスがなくて体が絡まってダメ!と思っていたら、何度も続ければ体が器用になるよ〜!とDVDで言ってたので、よし!踊れるデブになろう!と奮闘中。
よく、音楽に合わせて適当に踊るんだけど、それを真似た娘をみて何か昭和風味だったので、おしゃれな踊りをしたくてトライしてるのもあります。

さてさて、自分の子育ては威張れません。
ただ、この間感心したことがありました。
子供が小学生だから、色んな子供が遊びに来るんだけど、先日男の子と女の子兄弟が遊びに来ました。肝心の息子は外に出ていなかったので、お家で遊んで待っていたら、パンやケーキを作る私に興味津々、、、いきなり『ぼくん家は離婚しているんだ〜』そっか〜おばちゃんもだよ。なんて話しながら、それにしても二人はおっとりと優しいオーラを醸し出しているな、、、?なんて思いながら。

パンをこねながら、色々話していると、お母さんが居ないとのこと。
私は、父が不在だったので、お母さんが居ないのはどんなだろう?と胸を痛めたけれど、本人は少し寂しそうなオーラがありながら、とっても癒し系。
行きたいというので、一緒に娘を幼稚園に迎えに行ったら、その子が卒園した所だから先生方がお母さんのように抱きついてくる。
この子は自分のお母さんが居ないけれど、沢山のお母さんが居るから、素直に可愛い笑顔でみんなを癒しているんだな。
いや、その逆で素直だからみんなが寄ってくるのかもしれない。

親の期待で自分らしく居れない子供よりも
寂しくても自分らしく生きれている彼女は仕合せだと思った。
昔からある、『親は無くても子は育つ』。という格言を実感した日でした。

そもそも、子供は授かり物というけれど、預かりものだと思っている。
その証拠に自分は、親の意志で子供の身長や内臓を大きくする事が出来ないし、自分の想い通りに行かないのを学ぶ日々。
そうやって16歳から切れて行く見えない臍の尾は20歳で切れて、一人の人間として巣立つ。
私は息子を育てている時、直感的に自立の速い子だと感じたから、思う存分だっこしてオッパイあげて、、、予想通り小学校に入ったら親より友達やサッカー、、どんどん離れていっている。
寂しいような嬉しいような。
やっぱり預かりもの。

厳しい夫がよくいうのが、今だけを見ないで長い目で判断するということ。
英会話教室の先生でもある、彼は人生で使える英語を教えるのが信念。
どんなに点数が取れたって、実践で使えないのは意味がないから、時間をかけて基盤を作るそうです。
だから、何年もかかるけれど夫の生徒さんは彼の話す英語を聞き取ってノートに書く事が出来るようになります。基礎固めだけきちんとしていれば、その子が20歳すぎても使える英語になるし、それが目的だそう。



人生『森で迷子になった子にエサをあげる人よりも、猟りの仕方を教えたい』と思う私も、そんな彼の長期の目を子育てにも活かすように心がけています。
エサをあげる方が簡単だし、お礼も来るけれど、その子はいつも自分に依存しないと生きて行けないなんて、可哀想。
親の方が早く死ぬんだし、それがとっても早くに死んでしまっても猟りが出来れば生きて行ける。そして、猟りを学ぶ時に気持ちの強さが養える。

4歳になったばかりの長女の夢はお母さんになること。
そんな彼女は私の後ろについて回る。
今朝も、お花に水をあげて来て〜と言ったら、赤ちゃんの人形を連れて満足げに帰って来た。水あげれた?と聞いたら、『ううん、赤ちゃんにね、お花が奇麗だねって一緒に見に行っただけだよ。』だって。
やっぱり今の段階は母の背中を見て手伝う時期。
どんなに土いじりで泥だらけになっても、料理でキッチンがめちゃめちゃになっても、彼女なりに学ぶ事があるとしたら、それ以上の学びは無いと思うから、今日もちびっ子花嫁修業のお手伝い。

私の子育ての信念は、、、あれっ?無いかも。
その子らしく育ってくれれば、それでいいや。
期待や理想は、彼らを歪めてしまう気がするから、、、。