2014年11月14日金曜日

苦しみの存在

こんちわ。マスタークレンズ4日目。
今回は一週間前から大好きなカフェイン系を抜いて、ビールは抑えて(笑)、肉を減らして準備したのと、3回目と言うのもあってか好転反応無いじゃん!と体調良く過ごしていたが、今日夫と喧嘩、心のデトックスが始まった。

喧嘩でいつも思うのが、真の自分を見せつけられる。そして、磨かれる。
喧嘩の後は、反省した。
自分のどこが間違いで下手だったか?
1つの自分の間違いが見つかった。

自分が彼を苦しめていると思うと 逃げたくなる。なぜだ?
なぜ、自分が先に死んで、その後苦しむ彼の姿を死んでも(って死んでるんだけど)見たくないと思うのか?
深く自分の過去を探ってみた。

私は母が19歳の時に産まれた子。
18歳で妊娠した母。
母は父と別れた後に発覚した妊娠。
東京の和裁学校に行き始めた途中だった。
それでも、母は妊娠を喜んでくれて、帰省して母になった。
現実は過酷だったと思う。父も若い。1個年上なだけ。
遊びたいさかり。給料も安い、ギャンブル好き、酒タバコ。
家は明日食べて行くお金が無い。
給食費とか、お金が要るといいだせなくて、ギリギリになって
言って、結局もっと怒られる。
父は、帰って来ないで1人で病弱な私と妹を育ててた。
家事もパートも世話もお金の管理も全部母。
そんな中、よく言われたのが
『お前を産まなきゃよかった。』
そうか、私が居なかったら、母は仕合せになれたんだって、小さい私は勝手に思いこんだ。ただ、母は事実を言ってるだけだったのに。

私はお母さんを救いたくて産まれて来たのに、自分の存在が母を傷つけているという苦しみがあった。
私がいなかったらよかったのに。
母に『誰も産んでくれなんて頼んでない!』と言った事もある。
私がいなかったらよかったのに。心の中でずっと消えない声。

だから、目の前で愛する人が苦しむと自分が消えたくなる。
でも、私は大事な真実を見ていなかった。
『愛する事は、相手を喜ばせると同時に相手を苦しめる。』という真実。
相手が嬉しいのは自分も嬉しい。
でも相手が自分のせいで苦しむのは死ぬ程苦しい。
でも、これが真実なんだ。
これが、ずっと受け入れられなかったんだ。
自分で自分をマッサージしながら、それに気付いて泣きながら崩れ落ちた。
産まれてはじめて、自分にこれが真実なら自分は生きてていいんだって言った。
ごめんね。ずっとずっと自分の存在を消そうとしてきてごめんね。

よく目を開いてみて見ると、自分が消えたら苦しむ人がいる。
自分の言動で苦しむ人が居る。
自分の存在で苦しむ人が居る。

母は、私を愛していたから苦しんでいた。
もしかしたら、無意識にでは子供を苦しめている自分を責めて『産まなきゃよかった』と言っていたのかもしれない 。
母の存在は私を今でも苦しめる。同時に私の存在が母を苦しめているだろう。
でもそれが愛するという事ならば、喜んでその苦しみを引き受けようと思う。

傷つける事、傷つく事の覚悟がないのならば、誰も愛せないんだってよくわかった。