2014年11月29日土曜日

愛の玉

こんにちわ!プリケツ目指して毎日トレーニング。
『プ』くらいは行けたかな〜。あっ、おならじゃないよ。

結構相談受けてて感じるのが、『愛してる』ってみんなキレイなイメージを持ってるなあってこと。愛の正体が解ると『何で愛せないんだろう?』なんて言葉は出なくなる。
なぜなら、愛するってもの凄い気合と努力があって成せる事だから。
多くの人が『愛される』事を目指すけど、相手に対して『愛してる』って言う事はあっても『愛されてる』って言葉が無い通り、愛って流れ出る性質を持つものだと思う。
私も愛のイメージを間違って持っていたから、長女の育児を間違った。
どこかで相手の喜ぶ事をすることとか、傷付かないようにすることが愛だって勘違いしてたから、自分を犠牲にして色んな事をやってあげた。その結果、ただのワガママクソ女に育った。
なぜなら、1つ1つに感謝がない。やってもらって当たり前。モットモット欲しいばかり。これは不幸だと、私は気合入れて育児しなおし。
今日の朝は、長女の心の無さに10分も大泣き。自分でして来た事の間違いと、彼女の不幸を思ったら涙が止まらなかった。
いまは、どんなに面倒くさくても、1つ1つ感情をしっかり話合う。
時に心を鬼にして、本人が気付くまで厳しい事をする。(これが一番キツい)
笑顔で、楽しい、スキだけじゃ、本物の人間関係は創れない。
嫌いな所を指摘してあげる。『これが私にとって嫌なんだって。こんな気持ちになるんだ』って。日本って、ありがとうとかごめんなさいだけで終わらせちゃうけど、何でありがとうなのか?何でごめんなさいなのか?そこが一番説明するべきポイントなんだと思う。
私が彼女に心を砕いて来なかったから、いまこの現実が目の前にあるんだ。
いつもそう。自分がやったことが帰って来る。
愛さないんだったら愛されないんだ。
愛さないんだったら相手の心も育たないんだ。
最近は私の中のベルリンの壁が壊れた。と同時に色んな現実が見えてきて、苦しいと同時に、今まで感じた事の無い仕合せを毎日感じてる。
それは、ふわふわした現実ばなれの幸せじゃない。確実な仕合せ。

よく、好き嫌いと愛してるの違いを質問されるので自分なりに考えてみた。
好きと嫌いが小さい同じ大きさの感情の玉だとする。
それは、もちろん人との付き合いでコロコロ変わる。
こういうの嫌とか好きとか。人それぞれだしね。
でも、愛してるってその二つの玉を受け入れて付き合うって事なんだ。

みんなね、好きな人=愛する人って勘違いする。
だから、嫌いな所を話せない(離せない)。
離したくないからね。好きなだけだから。
でも、相手の欠点とか嫌いな所とか全部ひっくるめて付き合うのが本物の関係だとおもう。
そこに、離れて行くんじゃないかって不安は無くなって、『話せない』って事は無くなると思うんだ。自分が愛してるんだもん。
もしそれで、相手が離れて行っても愛していることは変わらない。苦しいけれど、それも愛の苦しみだと思う。愛の嫌な所。愛するリスク。
リスク無しの美味しい話は幻想であって現実ではない。

綺麗事じゃ人を愛せないってこういうことだとおもう。
自分や相手のドロドロを愛せるか?リスクを取る覚悟があるか?
それがその人の愛の力だと信じてる。
そして、何で私がブログを書くか?
みんなが聞きたくない嫌な事も書く。バカにされる事も書く。
でも何で自分の時間を割いてまで、ブログを書いているか?
ここで、何か気付いて自分を成長させる糧になってもらえるならばそれだけで私は仕合せだから。
そして、何よりみんなを愛しているからなんだ。