2015年4月9日木曜日

当たって砕けろい!

ヤッホー!昨日、20歳のベトナム人のクラスメートに年を聞かれて『もうすぐ40だよ』って言ったら、叫んで驚いててなんでかと思ったら25歳に見えたんだって〜♫
子供3人いるし、私はあんたの母ちゃんの年だよん。と言ったら、信じられないという顔で気持ち悪がられた(笑)。
まあ、最近こっちで出会う友達はみんな20代だったり10代だったり。
でも、みんな夢を持ってそれに向かってて好き。
年とか関係ないもんね。
ま、とりあえずアーユルヴェーダの若返りの科学は成功している、と立証できる出来事だったので自慢含めて報告。(そのクラスメートの視力は疑ってるが)

しかも、今の教科書のテーマが若く居るには。。だから面白い。
そこに好奇心を持ち続けるとあった。
そういや日本って『何事も無いように。。。』が信念というか、思いこんでる人多いと思う。
でも、よ〜く考えてみて。
何事も無い人生????????
ほんとにそれでいいの??????
人の数だけ人生の種類があるはずだと私は思うけど。。。

未来が開ける扉が目の前にあるのに、『何事もないように』という考えの下に、ノックに手をかける事も無いだろう。そして、探そうとしないその目に扉は壁にしか見えないだろう。

ちなみに、私はありとあらゆる悪事をしてきた。
どうみても『間違いの扉』と書いてあるのに、開けずに居られない性分。
いつも理性よりも好奇心が先立って、扉を開いてしまう。
まあ、今考えると危なかったんだって反省するけど、おかげでその扉の先であるここまで辿り着けた。

目の前の扉を開かないと進めない道がある。
今も、ずっとめんどくさくて逃げてた扉を開け始めた。
開け始めると、思った程扉は重くなくって、入るとなんで今まで入らなかったんだろう?と思うのが常。いつもそう。

ドイツに来る扉もそうだった。
この扉に手をかけるまでもの凄い悩んだ。
悩んでも悩んでもどうにもならないって思った。
だから、直感に従った。
間違ったら戻ればいい。
でも開けなければ何もわからない。

大学行きの扉もそう。
考えれば出来ない。
今はまだ条件も揃っていない。
でも今度は開かないその扉に、ぶつかってみようと思う。
今度は大学に相談に行こう。
ぶつかって開いた道が運命だと私は思ってる。
ぶつかっても開けようと思っても開かない扉もある。
それは自分の扉じゃないんだろう。
でも、扉を見て悩んでるだけじゃ自分のものか解らない。
だから、色んな扉にぶつかってみる。
痛いの怖がって何事も無い人生を送りたくない。
(昨日も、バス停から地下鉄の乗り換え2分で条件なら絶対間に合わない距離を諦めずに、乳母車押しながら、信号無視して猛ダッシュ!!!電車の扉開いてたもんね!)

諦めたら終わり。
そこに立ち止まるしか無い。
何事も無い人生も素敵だと思う。
ただ、本当にそれでいいのか?
条件と思い込みをすてて胸に手を当てて感じてみる必要があると私は思う。