2015年4月4日土曜日

いま

こんちわ!とりあえず、駆け上った初級コースに息切れしながらも、2ヶ月よく頑張ったと自分を褒めてるりょうちんです。
出来て当たり前の基準を自分に置くと、出来ない自分を責めるしか無い。
でも出来ない自分を基準にすると、やる気が無くなる。だって出来ねんだもん。

で、やっぱり現実を見るしか『合』は起きないんだって痛感した。
もっと出来たじゃんとか、やりすぎたとかそんなの横に置いといて、今の自分を見詰めたい。私は、いつも今を直視すると昨日決意した。

で、昨日は心に引っかかってる事全部半紙に書き出した。
書きなぐりでもいい。気が澄むまで書く。乱雑に泣きながら書いた。
私は、自分で思ってる程つよくなかった。
こっちで出会った日本人の子達のグチや、移住は出戻る人が多いとか、国際結婚は離婚率が高いとか、そんな一般論、強い私には当てはまらないもん!と強がってた。
強がるのと強いのは話が違う。

理想の自分は強いから、それを演じる。噓になる。
なんで、みんな『りょうちんでも失敗するんだ〜とか、弱いんだ』とか言うんだろう?と首を傾げていたら夫が、それを自分でも演じてるからだろ。って。
そうだそうだ。期待に応える事が愛だと思いこんでた自分がいる。
弱い自分をみせたくないというプライドもあるだろう。
でも、それって合がない。
私にとっての愛は合だから、大問題。
自分を合いせなくて、一体誰を愛せるのだろう?

モヤモヤして混乱してた心の原因はこれだったか!とやっと解った。
いままで、日本で立ってた自分の土台は全く違うものになっている現実。
言葉の壁で、普通の事が普通に出来ない現実。
全てが違って、何をみても新鮮な変わりに全てが違うストレス。
そして、一番辛いのが会いたいのに会えない仲間達。
前だったら、電話1つですぐに会えた距離に仲間はもういない。
私死んだみたい。って思う事がよくあった。
それほどのストレスを抱えていたのに、自分の事なんにも解ってあげてなかった。

大丈夫、これくらい。

自分の弱さを無視して、どうやって仕合せになれると言うのだろう。
夫に言われた『お前は自分で思ってるより強くないし弱くもない』って。
全然自分で自分が解らない。
結局、自分で自分は見えない。だから周りが教えてくれる。
でも、その図星に傷ついてしまうのは、理想の自分と現実が違うから。
理想は多いけど、現実は1つ。
その真実がわかると、現実をみることでしか愛は起きないんだとやっと解った。
理想の中は誰とも合ようがない。みんな理想の自分を持ってるから。

みんなが現実を見ようとするとき、そこに産まれるのは合しか無いと思う。
それが例え別れになっても、愛無き関係に自分の大事な人生の時間を注ぐか?
自分に生自気(正直)に活きるか?

その選択は常に今の自分に託されているのだ。