2011年10月31日月曜日

生きる目的

そろそろ、見本を目指してコダワルことをやめませんか?

その前に、何故、天は人それぞれ違う様に創ったか?考えてみましょう。
それは、見本を目指すためでは無いはずです。
輝いている人の条件をまねしても絶対に輝けません。
芯から輝いている人は、本来の自分の素を生きているから光るのです。
決してその条件が光らせているのではありません。

全ての人は、天からの役割を持っています。
○○だから偉いのではありません。
○○だからダメでも無い。
全ての人の価値は平等です。
偉いのではなく、ただの役割の違い。
今目の前にある自分の役割が違うと逃げないで。
実は天職ほど辛いものはないから。
楽しい事だけが天職ではありません。それほど、地味で辛い事はありません。

生きてる目的は、自力で生きることです。
それは人に迷惑をかけない為ではありません。
何でも出来る、すごい人になることでもありません。

私たちは何故みんな違うのか?がヒントです。

本当の自力の意味は、何でも自分ですることではなく、パズルのように創られた自分の出来ない事(凹)を受けいれて、周りを必要とし、出来る事(凸)に努力を注ぎ人の役に立つことです。決して、人の凸を妬み羨むことでも、自分の凹を嘆く事でもありません。

何でも自分で出来る!と頑張ると、傲慢になります。
何にも私は出来ないと自己放棄すると、依存になります。

どっちにしても型違いなので、心がモヤモヤして『仕合せ』ではありません。
仕合せとは、天に与えられた自分を受け入れて地味に努力して生きる事です。

条件に惑わされないで。

どんなにお金があっても名誉があっても権力があっても、それを活かせなければ不幸です。
どんなにお金が無くても無名でも、目の前の与えられた、小さな仕事に全力を注げる人が仕合せなのです。

それは、その人の『目』に表れます。

自分を知るのに『恥』を沢山かいて、あなただけの端を書きましょう。
それをしてくれるのが他人です。実は傷ついて、磨かれているのです。
だから、生きるって怖いし、面倒くさいし、辛いのかもしれません。

たった一度の人生、上辺だけの奇麗ごとで空しい人生を生きるより、人との切磋琢磨の中でいっぱい失敗して自力の仕合せを味わいたい。