2011年9月29日木曜日

生きて出来る事をやる

 こんちは。夜に腹筋をしすぎたのか朝5時に目が覚めた涼子です。
師匠が腕を折って、大好きな薪割りを手伝っているのですが、
 これが、割ればいいというのでなく精神がそのまま出る。
イメージで割れると思わないと絶対割れないし、
早く割ってしまおうと思うと中心のバランスを崩して割れない。
 昨日は師匠に、力で割ろうと思っている自分に、もっとオノを活かす振り下ろし方を学んだ。
人生なんでも、力を使って頑張ればいいというわけでは無さそうだ。

 そう、最近は断食に筋トレにチホのオープンヨガなど修行に励んでいる。
産後何年か出来ない事が沢山あって、その反動で”俗”っぽい事をやったけど、飽きた。
俗っぽい欲の行動って、その時だけ楽しいけれど、その後味の悪さって何とも云えない。
罪悪感のような、自信が無くなるような、芯が無くなって外側だけ気が強くなるような、そんな自分が嫌だからまた、欲に走って誤摩化す、、、これは自分の魂が本当に求めているものでは無いなと、確信をしてからスパッと手を切り、欲に走る自分の弱さや小ささを認め、そのヘナチョコ精神を鍛えて、本当の強さと優しさを養おうと決意。

 死んだら永眠、ずっと眠れるし、感じないし、何にも無いナイナイ世界に行くんだから、生きて出来る苦労の中で自分の心を鍛える楽しみに目覚めた感じです。
 そしてこれが、後味がいいんです!その時辛いし一見損で”面倒くさい”のに、後に喜びがある。活きてるっ思う。こう考えると人生って面倒くさい事にいかに愛を注げるのか?という事なのかな。
 
 幸運な事に生活の師匠が、そばに居るのでその人の一つ一つが学びです。家の芝生に混じって生えて来た雑草を見て途方に暮れながら、急いでむしり取っていたら、師匠は一つ一つ丁寧に、根っこからゆっくり抜き始めた。”こういう地味な作業が好きだ”といいながら、愛情を込めて作業をする師匠に感動。自分も真似て一つ一つ毎晩作業して終わったときの感動と自信。もし、急いでむしり取っていたら絶対に無かった感動!一つ成長した〜!と叫ぶ私に、”人生 毎日が成長だぞ”と師匠。そうだ、偉業を成し遂げる事が成長なんかじゃない。私が彼を師匠にしたのは、彼がどんなに面倒くさいことでも逃げずに向き合い地味にこなす姿に心を打たれたからだ。そういう人を心から尊敬するから、私は肩書きや口先に騙されないんだな。
 彼は、身体が痛いのに、いつも誰かの役に立って愛を流している。決して言い訳をしない。あまり寝ないので、理由を聞いたら”死んだら寝れるからいい”って。確かに。
 身体が痛いし、忙しくて寝てないのに、彼は若々しく”活きている”。
大人の魅力のある人が少ない中、大人になることの希望を与えてくれる。

 自分はガーデニングが趣味で、先日”春が来ますように”という願いを込めて、沢山チューリップを植えた。
 人生って、自らの手で畑を耕し、肥料を作り、種をまき、見てあげて世話をする。こういうめんどうくさい事を繰り返して行くと、最初は収穫しか楽しくない弱い心が強くなって、その作業自体を愛せるようになる気がする。
 
 生きて出来る事は、面倒くさい作業に愛を注ぐ『経験』。
 その収穫という結果は、死んでからなのかも知れない。

 心の隅に引っかかっていて、面倒くさいとか、損だとか、辛いとか計算して出来ないでいたことと向き合い、面倒なその一つ一つを行動にしていく時だと思います。
  
 生きて出来る事は、死んだら出来ない事。
人の役に立つことも、愛する事も、傷つく事も、泣く事も、笑う事も、全ては生きてるからこそ。失敗を恐れて何もしないのは、死んでから出来る事だから、今する事じゃない。
 たくさんの経験が心を鍛えて、愛を増やしてくれるから今日も生きよう!