2015年5月28日木曜日

間違いは間違い。

ダンナとの喧嘩も上手くなって来た。
私のプライドが高く、間違いを指摘されても、ムッときて自分を棚にあげて相手を悪く思うほど、意地になって素直になれない自分。

もう、こんなの嫌だって思った。
素直になろうと。
いままで正しいと思ってる事も、間違っていると認める素直さと、自分の事は全くわからないというゼロの気持ちになってみようとおもった。

すると、なんで日本政府がそこまでして、放射能を撒布しようとするのかが理解できた。
『原発に事故はありえない』という安全神話の正論を、突き通すためじゃないか?
放射能は身体にいいと、沖縄や西日本の野菜を捨てさせてまで西日本の汚染された食品を売る。
なんでだろうと理解に困っていたが、単に意地じゃないのか?
今までのことが間違ってましたと認められなくて暴走しているんじゃないか?
プライド(自分は正しい)が、真実をみれなくさせてるだけじゃないか?
そんな風に少しだけ理解できた。

これは、個人レベルでも同じで、自分が歩いて来た道、信じて来た道、正しいと思っている考え、生き方が間違っていると認めると、ドミノ倒しのように過去が間違いに変わって行くのを皆恐れる。
信じて来たものが、間違いだったなんて信じたくない。
その思いが現実を見せない。盲目にする。

これから紹介する、アメリカの911の真実に迫るドキュメンタリーを見て、涙が止まらなかった。人間のエゴの下に殺されて行く愛国心あるアメリカ国民。
それでも、真実が知りたくて真相を探って行く勇気。
真実が解らない限り癒されないという思いの元に現実を見るアメリカ人に感動する。

本当の癒しってなんだろう?このフィルムにその答えがある。
表面だけを癒す事は誰でも出来る。
優しい言葉で子供の傷を手当てすればいい。
でも、傷になぜなったのか?なにが間違いなのか?
叱りながらも現実を共に考え、学んで行くのが本当の癒しじゃないのか?

間違いを正当化してしまうセラピストも多い。
その失敗は、こういう意味があるからよかったのよ。大丈夫。なにも心配しないで。
そう言われてその時は、慰められるだろう。
でも慰めと癒しは別世界だという事実を知らないといけない。
私は綺麗事が大嫌いだ。
それは、立派な噓だから。私は、本人も気付いていない無意識につく噓が大嫌い。
本音を隠して表面を穏やかなフリをする。
これって、本当の事を隠して、表面は平和だと言っている、政府がやっていることと同じじゃないか?

この辺で、個人レベルで間違いは間違いと認める勇気をもとう。
いま、仕合せじゃないと感じるならば、それは不幸なんだという現実をみるべきだ。
そして、その間違った道を歩んで来たのは、誰でもない自分。
間違いをどんなに、正しくしたくても、その道が間違いであることは変わらない。
でも、認めたくない場合だけ自分を騙せる。
この道は正しいんだよ。と言い聞かせればいい。それか、ほんとの自分を無視すればいい。最後の手段は、感覚を麻痺させればいいだけだ。

さっきも夫と話した。
結局、死ぬ時に『ああしとけばよかった。』と思う人生か?納得出来る人生か?だねって。

みんな間違う。
間違いは間違いとして見つめた時、間違いが未来の糧になる。
本当の意味の癒しが起きる。
どうか、このフィルムを沢山の人にみてほしい。
いま、311からの厳しい現状を背負ってる日本人が学ぶ事が多いと信じている。

https://www.youtube.com/watch?v=0d5L8gzIsT8&feature=youtu.be