2013年1月23日水曜日

正しい

こんばんは、カオリです。昨日のデトックスが効いて、いつもピッチピチのTシャツが今日はゆるくなってハッピーどす!朝起きたての顔1.5倍事件も解消ぎみです。これからもがんばりまうす。


なーんて、ふざけてますが。 私、最近どうもカリカリピリピリしてました。
何をしてても、なんだか 空しい。しょっちゅうこんな波があるんですけどね。

そういう時は、書いてみる。本音をノートに殴り書きする。どんなことでもいいから、素直に思うままに。後で破ればいいんだし。

『正しい』に、凄くとらわれいることにら気づいた。 正しくあろう。だから自分を正しさでしばる。人にも強要している。
自分が、間違えると責める。

なんでだろう?と、心に聞く。正しくない、道を外れたくない。怖いんだって。。
とにかく怖い。何故だろう?
理由が必ず存在するはずだから、深いところまで、聞いていく。

道を外れる怖さを、過去に味わっていたことが分かった。
中学のころ、突然友達にムシされるようになって、仲間がいなくて、先生にも目をつけられていて、先輩にも意地悪されていて、部活にも塾にもどこにも居場所がなくて、誰にも自分を出せなくなった。
心配させるのも嫌だったから。

こんな、私だから嫌われるんだ。こんな私だから当たり前だよな…。
責めるしかなくて、誰にも言えなくて死にたいことに気づいて欲しくて自分を傷つけたりしたな。
よく、夜に家を出て ナイターで野球をしてる大人を見に学校へ行って泣いてたな。

その時に、もう誰にも弱点を見せない。
深く付き合っても、心は見せないで生きよう。悪いことは言わないで生きようと思ってずーっと過ごしてきた。
器用な生き方なのかもしれなかった。けど、それで病んだ。

生きるって、本当に難しい。楽しいことがたくさんある。愛おしい人がたくさんいる。けど、ここにくるまで 魂は切ないことばかりだったのかもしれないな。ずーっと自分を否定し続けたから。

セラピストになって、やっと最近 自分の殻が脱げてきた気がする。だから、苦しい。脱ぐには、強い心がいるから。
まだまだ、私は生きることに不器用で、感受性の強さに押しつぶされながら 毎日を過ごしています。

本当に、優しい人になりたい。自分を本気で癒して、人を許して、受け入れられる優しいセラピストになりたいと思う。