最近、心から愛せるパートナーを見つけました。涼子です。
色んな事手放して0にしたら、ずっと探していた鍵を見つけた。
ずっとそこにあったのに、認識できなかった大切な人。
めっちゃ悪条件の彼を無条件で愛そうと覚悟を重ねる。
愛することほど怖い事はないとおもう。
それは必ず別れが来るから。
そして愛すれば愛するほど、その傷は深くなる。
それでも、仕事でもパートナーでも全力で愛そうと決めた。
半分は運命だとおもう。
だけど、残りの半分は自分でしかつくりだせない。
もし、勇気をだして離婚を決断してなかったら、彼を愛したいと思う自分を見いだせなかった。
もし、私が常識人だったら人目を気にして、離婚してすぐに彼を作る事も無い。そして、ずっと現状に不満を溜めた人生を生きていただろう。
条件が整った、人目がいい人生を生きるか?
自分の魂に正直な人生を活きるか?
小さい頃から苛められたり、変わっていて人のうわさ話のネタになりやすかった私は、そういう環境の中で、『どうぞ何とでも言って下さい』という強さを身につけた。
誰かに何を言われたからって、自分の価値は変わらない。
だったら、何で人目よく生きる必要があるのだろうか??
私は誰が何と言おうと、仕合せな人生を活きたい。
仕合せって失敗や間違いの中に潜んでる。
だから、常識的な人には絶対に見つけられない。
運命と言う半分で我慢するしかない。
でも今回、非常識という宝箱にしか入っていない仕合せがあることに気付いた。
常識的って、頭で予想がついてつまらない。楽だけどね。
非常識って、予想がつかないから、心を使うしか無い。苦しいけどね。
ただ、自分さえ良ければ良いという愛のない非常識は大嫌い。
自分が仕合せになると言う事は、周囲の人が仕合せになる事だから、今日も心を使って愛を流す。
結局、出したのが還る。
どれだけ愛されたじゃない。
どれだけ愛せたか?が仕合せなんだと痛感している。